比較建築研究会中世イスラム編の研究目的 |
なぜイスラム建築なのか? |
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我々がイスラム建築として思い描くのは殆どの場合オスマントルコの時代の玉葱型のドームであろう。しかし、トルコ人が勢力を持つ以前アラブ人による偉大な文化の創造が行われたことはあまり知られていない。 |
イスラム建築のパワーの源泉 |
このように現代に至るまで多大な影響を与えたきたイスラム建築も実は、全てがそのオリジナルではない。ゴシック建築がそれにより直接的・間接的にインスピレーションを得たように、イスラム建築も実は以前の建築文化から多大な影響を受けつつ、またそれらを含有しつつ成熟していったのである。イスラム建築の偉大さは、アラブ民族のみの天才に因るものでない。イスラムはその黎明期に、僅かな期間にペルシャやローマ帝国の領土を制圧して行った。それらの地は当時もっとも文化的先進地であり、なおかつ古代四大文明と言われるものの内、エジプトとメソポタミアを含んでいた。そうして、また交易により古くから関係のあったインド・東南アジアと接触を持ち国家を建設、さらにジンギスハンによりシナ文明と深い関係を持つ様になるのである。つまり、イスラム文化は世界四大文明の正統な後継者であるとも言える時代があったのである。 |
研究の発端 |
このような興味深くも重大な歴史事象にも係わらず、我が国においては特に建築においてはその姿が全くといって良い程知られていない。細部はおろか、その概要についても殆ど知る術さえない。(調べてみると分かるが、イスラム建築史についての研究邦書は殆どない。私も以前その事実に愕然とした。)どうゆう訳か我が国に建築研究者には、その重大性にも係わらず、興味の対象とはならなかった様である。しかしながら、これを避けては建築史の潮流を理解するのは不可能である。(近年、湾岸戦争、アフガン侵攻、イラク侵攻、といった不幸な出来事故、わが国においても、その文化理解の必要性から公的機関での研究も進み、漸くそれが一般に理解しやすい形で公表、出版されてきている。2003/08/25追記) |
イスラムの特性 |
さてイスラム建築を理解する上で、イスラムという宗教について理解しておかなければならない基本的な事項がある。 |
文化伝播・伝承の中継地 |
イスラムの文化が西欧に伝播していった主要なルートには、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)、シチリア王国(イタリア)、後ウマイヤ朝(スペイン)があげられる。一般的に思われているように、イスラム圏とキリスト圏は始めから対立し、交流がなかった訳ではない。これらの地は、東方世界の中国との交易の中継地であり、その交易により大いに栄えた地であるとともに、東方文化やアラブの文化のキリスト教国西欧への文化の中継地でもあった。 ビザンティン帝国において、文化の伝承者としての役割は商人であるユダヤ人が担った。 |
現代に繋がる文化の源泉としての中世イスラム |
その後、イスラムとキリスト教との対立は激化し、原理主義に走ったイスラム側はそれゆえに芸術・文化・技術ともに硬直化し、停滞化していく一方で、今までカトリック教のもと抑圧されていた知識への欲求が解き放たれ、ルネッサンス期を迎え、大航海時代、技術革新、資本主義という潮流の中で以前イスラム圏にあった前述のコスモポリタニズム的志向を加速していった西欧の発展は知っての通りである。 ただ、このような前向きの潮流の契機となったのは、やはりイスラムに違いない。野卑なゲルマン民族にとって当時(中世イスラム)のイスラムの文化・芸術は眩いばかりであったろう。優れた技術者・芸術家・建築家・文学者であれば、それに内在する可能性はまさに宝の箱であったに違いない。一目見れば、一読すれば、影響を受けざるをえないものであったことは容易に想像できる。(例えば、半円形のアーチしか知らなかった西欧の建築家がイスラム建築ではありふれたポインテッドアーチ(多様なアーチの種類の一つに過ぎない)を一瞥すれば、それがいかに画期的か(技術的にも造形的にも)、そして造形の無限の可能性をひめているか、一瞬にして雷光のごとく理解したであろう。) 中世イスラムの時代は現在に繋がる潮流の契機となった最も重要なクリチティカルポイントの一つであることは明らかである。そしてその時代、なにがあり、なにが起こり、それがなにを誘発していったか、を究明することことが本比較建築研究会中世イスラム建築編の目的である。 2023/03/06一部改 |