マスタービルダーの頭の中にだけ描かれた建設計画


通常、そして、社会的通念に反して、13世紀の半ばまでに建てられた建物は、いかなる設計図の補助もなしに、進められた。事業全体の基礎は、最初は建物のタイプと大きさの構想案だけであった(棟梁の心の内 (in mente conceptum)に構想されたような) 。建築の設計は、最後の形態で、建設の建設期間の、経験に基づいて実際に材料を加工する段階まで、行われなかった。空間のデザインとプロポーションは、確立された慣例を踏襲し、簡単な指図の形で提示され、例えば、建物に寄与する職工の親方たちとの契約に含まれた。ただ、工事中に、個々の部品が、1:1のスケールでスクラッチ図面として描きだされた(既に示されたように)。

13世紀の第2四半期から、計画図面は、細心の注意をもって、2−3oの深さで描かれはじめた(石材或いは漆喰壁の表面に、或いはテラス・ルーフ(陸屋根)の上に)。フランスの16、英国の13、ドイツの9、そしてダルマチアの1つの例が知られている。この時期から残されており、年代が確実な、最初期の床のエッチングは、ソアソンにあり、13世紀の半ばに由来する。それは、潰しアーケードとトレーサリー窓を示している。ブールジュ(トレーサリー窓)、クレルモン・フェラン、リモージュ、ナルボンヌ、ケンブリッジの計画図面は、1300年頃に作成された。このような、1:1のスケールの計画図面は、建てる前に、型を計り分け石材の大きさを確認する為に使われた。

羊皮紙上の現存する最古の縮尺計画図面(エレヴェーション)は、教会の3連ポータルのファーザーが描かれた、二枚のパリンプセスト(書いた文字を削り落として、その上から書き込めるようにした羊皮紙:訳注)である。これらは、1230年/1250年頃の時期以降の例の写しを描いた者と同じ者によって、1250年/1260年頃に描かれた。1220年/1230年にランスで、ヴィラール・ド・オヌクールは、彼のパターン・ブック図面のモデルとなる様な設計図ではなく、壁の厚い部分のディテールを含む平面図を作成していた。1260年/1270年頃の、最古のストラスブールの計画図面(AとA')は、教会堂の西面ファサードの部分的なエレヴェーションの為に作成された。;計画図面Bは、1275年頃に、Dは、1277年/1280年頃に描かれた(おそらく、シュタインバッハのErwinによって) 。他の建築現場の計画図面も、13世紀の最後の四半期に由来する(1280年頃のケルン大聖堂の南側の搭の為の保存された最古平面図(ウィーンの計画図面A)と、1300年頃に準備をされた西側ファサードの為のケルンの計画図面Fのように)。

文献も、小さなスケールの設計図が出現し始めた時期としてこの期間を確証している。パリで教育を受けた、Robert Grosseteste は、1228/1232年のAdam Rufus への彼の手紙から推測される様に、その様な設計図がないことを知っていた。聖トマス・アクィナスも、彼の学問的集大成論文(パリで1265年に着手された)の中で、「建設事業 [artifex]の棟梁は、建物に彼の頭で考えた形態を与えようと努める」という仮説を立てた。オランダのフローニンゲンの近くの Wittewierum の修道院長Menkoは、1248年に次の様に記述した。:「最初の創設者の意図を知らなければ建設を続けることは困難である為、特に優れた建設事業の棟梁[artifex]は最初に彼の頭の中にデザインを蓄積するので・・・・・従って、我々は、この点で工事の最初の概念について述べる。そうすれば、それが建設を続ける我等の後任者を満足させる時、彼らは、その中に、継承すべきもののデザイン[ materia ] を見いだすことができる。」彼の学術論文(Speculum maius)の中で、1250年頃に、ボーベーのビンセント(ルイ9世の宮廷の教師であり司書)は、ichnographia(ウィトルウィウスの伝統における、建物の小さなスケールの平面図)について言及した。この言及は、最初のランスの計画図面とヴィラール・ド・オヌクールのパターン・ブックと同時期であった。

これを根拠にして、複雑な比例の図形が、計測用の平面図と立面図に使われていたというこ想像するのは、難しい。その代りに、重要な情報が、シンプルな三角作図 (古代以来、計測用の平面図に一般的であったような)と徒歩計測の整数に含まれていた。このようなシステムは、1391-1400年にまだ使われていた(ミラノの大寺院の身廊の建設の為に正しい寸法を算出するように頼まれた棟梁たちの間の討論に見られたように)。

ストラスブール教会堂の北西の搭
13世紀末のデザインスケッチ、或いは、製作図。
(Bern, Suisse;Bernisches Historisches Museum)
石工のためにデザインスケッチ
南翼廊ポータルの透かし細工の小破風の実際のサイズを表しているエッチングされた図面が、クレルモン・フェランの大聖堂の長い南聖歌隊席の上にあるルーフテラスに保存されている。石工たちは、彼らによって刻まれた部品が全体の構造物に納まる正しいサイズであるかどうかをチェックするためにその図面を使ったことであろう。


05/09/17
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