想像もできない-彩色のない大聖堂



 ゴシック建築(芸術的にデザインされた石造構造物であり石工芸術の素晴らしい表現)は、元来、少なくとも、内部とポータルの周辺には、漆喰か石灰塗料が塗られ、色が塗られた。今日、これは、想像し難い。

 彩色とジョイント・ペンティングは、建築のエレメントの構成を浮かび上がらせることが意図されていた。残る穿孔されいない壁面は、色が塗られ(Rampillonとマールブルで見られる様に)、柱、ヴォールト軸、そしてリブの様な輪郭の厳格な直線性は、デコラティブ・ペインティングによって、緩和され、或いは壊された(ローザンヌとパリのサント・シャペルでの様に)。例えば、マールブルクのセント・エリザベスでは、例えば、 Jurgen Michler は、1270年にその内部が元来、全てピンク色で塗られていたことを証明することができた(その継ぎ目は白色で区別された)。;壁、柱、ヴォールト軸の上の白色のマーキングは、実際の接合パターンと概ね一致したが、ヴォールトの漆喰の表面上では、大きさは下にあるものより小さかった。

 ヴォールト軸は、壁とピラーの基本的なピンクの背景色で塗られ、さらにまたジョイント・マーキングで覆われた。黄土色と白色は、横断アーチと身廊アーチに使われた、コントラスト・カラーであったが、それらの構成はジョイント・ペンティングによって壊されることはなかった。ウィンドウ・トレーサリーの円形のモールディングは、黄土色の上に白色で区別された。エリザベス教会の色の使用に関して、「壁の量隗の存在とその覆いによって、ある種の曖昧な状態がもたらされた。壁そのものは、特定のアーティキュレーションを持っていない。全く、事実に反する。色の使用は、その表面の特質だけを強調している」( Michler、1984年)。アミアンの大寺院 (マールブルクの建物の二段階目(1220年に着工された)に影響を与えた)は、灰色で塗られた壁と赤色と黄土色の身廊のヴォールトを持つ(これらの表面にもジョイント・マーキングがあった)。柱頭も同様に塗られた(装飾は別の色で区別された)。

壁の元来の色
聖ヨハネ騎士団の教会(Rampillon (セーヌエマルヌ)のSaint-Eliphe)(それはセンスの大司教によって、1220年頃から13世紀の中までに建てられた)では、元来の壁のアーティキュレーションが、継ぎ目が色で際立たせられる方法で残されている。


05/05/21
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