近年発掘された会合所


マグナ・グラエキアには、かなり初期の、市民と彼らの代表の会合所として設計された建物の存在を示す痕跡がある。ここで、特別なタイプの建物が、生まれた : エクレシアテリオン。これらは、エクレシアの会合(市民全てを召集した)の為に設計された、円形の建物である。それらは、(紀元前6世紀の前半に出現しと思われている)宗教に関係のない公共の建物であった(神聖な神殿とは対照的な)。貝殻(建物の機能を伝える形)の様に見える、それらは、列を段々に積んでおり、小さな円形競技場amphitheatre(数世紀後を思い起こさせる(数世紀後のローマ時代になって初めてその外観を現すことになる建物)を思い起こさせる。

メタポンチオンのアゴラ(そこで、同心状の列を持つ構造体が、発見された)には、特に良い例がある(その座席は、一種の中央の演壇を取り囲んでいる)。実際、このエクレシアテリオンは、(それぞれが奏楽堂(或いは、屋根がある劇場)の形状をしている、向かい合った2つの半円形の傍聴席(段の勾配がそれほど急ではなかったものの)によって形成されていた。紀元前5世紀の第1四半期(ピタゴラスが当時その都市にいた) に建てられた、このメタポンチオンのエクレシアテリオンは、審議の為に、およそ8000人の市民を収容することができた。

同じ時期に建てられた、建物が、近年パエストゥムで発見された。それも、同じく円形の構造体であるが、対面する半分には、分割されていない。これらの市民の建物の存在は、ギリシアの西における専制的なシステムの存在が、都市の管理において、市民の参加(投票)を締め出さなかったことを示している。そうして、これらの発見は、我々に、古典時代にマグナ・グラエキアの都市の発展を統制する政治的な機構を再考するように促している。そして、専制君主たちの支配が、アグリジェントのオリュンピエイオンとセリヌスのアポロの神殿のような、遠大な構想の自信過剰さによって特徴付けられる一方で、1人の人間の権威は、民主主義の思想を反映することを願う人々の強い願望を抑えることができなかった。



マグナ・グラエキア : 人民が相談にあずかった場所
政治は、ギリシアの文化の決定的な要因であった。マグナ・グラエキアが民主主義の中心地でなかったとしても、エクレシアテリオンの存在(近年パエストゥム(下)とメタポンチオンの市場(アゴラ)(上)の双方共で、発掘された)は、人民が相談にあずかったという明瞭な証拠である。これらの円形い戸外の大建築物は、討論と意見の交換の為(後にブールーテリアン(会議所)によって受け継がれることになった機能)に設計された。
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