心的補償としての創造 1985年のHamat の修士論文から抜粋 |
個人と集団の間に現象する元型 |
表象世界において元型は社会的な補償という形で現象するようだ。元型は社会的に様々な形態を持って様々な分野に現れてくる。しかしその全体像はーつのまとまった構造をなして現象するといったものではなく、その断片が個人の内において(無意識のうちに)感知されかたちとして表出提示されるものである。またこれは全く本人の感知してないところで行なわれる心的作業である。なぜなら個人にとって与えられる元型は、あまりにも巨大であり、その理解は個人の認識能力容量を遥かに超えるからである。 従って元型の断片理解として提示された形は、個人個人によって異なり、個人の提示する形は別個人にとって理解不可能ということも有り得る。しかし元型による指令あるいは元型=指令?は、しだいに多数の個人によって了解されることとなり、全体へと向い最終的にはその社会全体を覆うことになる。これは元型の解体でもあり(意識とって)、また新たな社会規範(様式)の成立でもある( これは往々にして、社会に属する成員の各人がーつの様式を構築していったというふうに理解される。 そういった意味で元型は各人に様式を構築させる源動力としても見られる。 |
意識と無意識(創造と破壊) |
無意識は常に創造的であり流動するが意識は常にそれを定位させようとする。これはまた意識にとって無意識が破壊的にみえる要因でもある。なぜなら無意識は定位することを知らない流れであり無意識の創造は定位させようとする意識の破壊であるからである。 |
象徴解体の意味(象徴から形式へ) |
前述の様な象徴解体の過程は、ある観点からみると、生成の過程としてもとらえられる。象徴の解体は、意識と無意識の間で行なわれる作業であるが、これは象徴が意識によって理解されるということを必須条件としている:意識は象徴そのものを直接に理解することはできない。なぜなら、象徴とは形態ではなく、情動的要素の構成体であるからだ。(意識は情動的要素を直接認識する機能をもっていない。)そういった意味で、象徴のもつ形象は情動的要素が現象するための媒体でしかない。即ち象徴の解体とは象徴が媒体とするその形象自体の解体ではなく、その情動的要素の解体である。 また、ここでの情動的要素の解体とは、情動的要素の意味要素への変換である。ここでの意味要素とは意識にとっての認識構図である。またこれは意識が情動的要素を理解できないがゆえの変換。心的エネルギーの構造への変換である。 従って、情動的要素の解体とは、意識における認識構図の拡大ということであり、象徴の意識においての意味の理解とは、すなわち意識の認識構図の変位ということである。象徴の解体とは、意識構造の変位をもってなされる。象徴の意味が意識にとって理解されるということは、象徴の情動的要素の消失ということであり、情動=心的エネルギーが構造構築のために消費されたのである。意識の認識構図を意識が事象を理解するためのー形式として考えるならば、象徴の解体とは、象徴(情動的要素の構成体)の形式(意味:意識における認識構図)化としてみることができよう。すなわち、象徴の解体とは形式の生成を意味する。 |
元型とシンボル (情動的要素の解体及び合理化) |
元型の解体は、意識の発達に並行しておこなわれる。ここで大元型(ウロボロス.太母)は各種の元型に分解されるが、これらは、大元型の性質の側面を各々が持つようになる。例えば大元型においては、破壊することと生成することを同時にはらんでいるが、これは分離し別々の元型として成立し元型的神格の動物的性質は神々の傍らの御供の動物として姿を現す。シンボルとは、この解体過程にそって説明するならば、その元型がさらに分解したものだといえる.従って、それの持つ構造は第一章で説明した元型の構造と同じである。 E・ノイマンによれば『意識は、ちょうど消化組織が食物を基本的要素に分解するように、大元型を分解して元型的な諸集団や諸シンボルにするが、それらは後に元型の属性や性質や断片となって(知覚し、理解し、秩序ずけ、摂取する)意識によって、同化されることが可能となる。』『これらの分解は、意識がシンボルを同化するために行なわれた合理化であった。なぜなら意識は、一面的な構造でありごく限られた領域についての明瞭性しか獲得できないからである。』さらに『合理化、抽象化、脱情動化について調べてみると、それらはシンボルを徐々にーつーつ同化していく自我意識のむさぼり喰い・摂取する傾向を表している。シンボルが解体されて意識内容になるにつれて、それらは強制力と意味を失いリビドーを低下させる。』 同化(同化作用) |
建築家アルド・ロッシの元型的空間 |
アルド・ロッシ著・アルド・ロッシ自伝・にある、彼の選んだイタリアの風景写真を見る時、それらから或る種の共通感覚を受けざるをえない。またそれらは心像に通じるものであると考えざるを得ない。ロッシ自身は、それらの写真はイタリアのヴァナキュラーな風景で、あり自身の記憶の内にあるものであると言っている。しかし、それらはまた、イタリアの風土、文化とは何等関係のない我々にさえも訴えかけてくる。その感情がアルド・ロッシの受ける感情と全く違っているとは考え難い。それがヴァナキュラーであるがゆえの感覚によって我々の感情を動かしているとも考え惑い。むしろそうすること自体の方が不自然だろう。それはアルド・ロッシ自身がそれらをヴアナキュラーであり自身の記憶の断片であると思っていたとしても、本人の意識していないところで、内的レベルにおける記憶としての心像風景を強烈に含む風景写真を選択している為ではないか。ヴァナキュラーな自然発生的な建築は、その内に元型的内容を多分に含んで現象する。従って、ロッシ自身の経験如何にかかわらず、それらが我々に普遍的な、なにものかを感じさせても不思議はないだろう。それらはイタリアの風土・文化を超えて我々に訴えかける。また、これらがロッシ自身の言っている様にロッシの建築における創造源となっているとすれば、ロッシ自身が指摘するように、彼の建築がグローバルに摸倣されるということもロッシの建築形態自体がすでに個人的な経験による記憶の産物ではなくユングの言うところの集合的無意識の産物であると考えることにより理解できる現象ではないだろうか。アルド・ロッシは彼自身があげた風景の中にプシケーに内在する元型を観ているのではないだろうか。アルド・ロッシ自身はユングの言う様な形態の象徴的な役割については全く触れていない。にもかかわらず、彼の建築に象徴的・元型的ともいえる形態要素がふんだんに登場するという事実は非常に輿味ぶかい。 この著作の文末の後記に、ヴィンセント・スカーリーはロ・ソシの建築に対するコメントを下のように掲げている。 |