塩野七生のローマ人の物語、ユリウス・カエサルを読む


遅ればせながら、塩野女史のローマ人の物語、ユリウス・カエサルを通して読んだ。英雄カエサルが主人公として仕立てられている。物語には主役と敵役が必要だ。、、、という訳でこの物語の敵役はどうやらキケロらしい。そして女性としての塩野女史はキケロがあまり好きではないらしい。彼女にかかればキケロは散々だ。実際はどうであれ、キケロが気の毒に思えてくる。著述と実際の人格、行動の乖離をチクリチクリと突いてくるが、作品=人格という人物をそもそも僕は知らない。実際のカエサルの品行がどうであれ、彼の業績が偉大であるということに変わりはないという意味では、キケロの実際の人柄がどうであれ、文筆された作品の質の高さに変わりはないのではないか?カエサルが政体のイデアを求めた様にキケロは魂のイデアを求めたに違いないから。
05/03/19
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