建築と装飾の関係



ロマネスク式の教会は、一般に多彩色であった。中世の教会が、絵画の装飾(或いは少なくとも、石積みを模した擁壁)が描かれて、初めて完成されたということ、は、ほとんど知られていない事実である。古代末期やカロリング朝時代の教会の様に、ロマネスク様式の教会は、豊かなイコノグラフィカルな装飾が与えられた。 ;彫刻装飾が通例となる前まで、これが主流であった。身廊には、一般に連続した物語があった。一方で、しばしばアプス上に確立された空想的な構成は、ファサード彫刻の画題に影響を与えた。

絵画は、我々がロマネスク様式を理解する上で、彫刻に劣らず重要である。壁面の、イコノグラフィックな題材は、キリスト教の基本的原理と封建制社会を信者に伝えさせることを可能とした。アプスの内弧面に表現された神のビジョンは、一般的に Maiestas Domini 、すなわち祝福を与える(ヨハネの黙示録の長老、福音伝道者のシンボル、そして大天使或いは熾天使に囲まれ)威光の座についたキリストである。時折、 Maiestas Domini は、 Maiestas Mariae 、 Virgin 、そして、光輪の中の「叡知の玉座」に座った子供に置き換えられる。時折、聖母マリアは、東方の3博士 (主顕祭) の 礼拝の場面に描かれる (受肉と救済の神秘という彼女の役割を強調して ) 。

象形模様の装飾を施した回廊は12 世紀の初め間もない年代に遡る。当時、宗教建築のファサードをモニュメンタルな彫刻で装飾しようという願望が西欧全体で感じられた。ある意味では、これは、ロマネスク様式の発明ではなかった。似た様な願望は、初期キリスト教時代以来、明らかであり、バシリカ様式の建築に現れた ( ローマの旧聖ペテロ、クロアチアのPorec)。 :(絵画とモザイクのような作画の技術によって、モニュメンタルなファサードを造るという願望)そして、ロマネスク時代のアーティストは、古典のモデルを象徴的に使った(新エルサレムへの門、すなわち、教会への入口に、彼らは、真の凱旋門或いは都市門を想起させるものを建設する時)。このファサードの高度化は、徐々に更に激しくなり、ロマネスク様式の時代の終りに最高点に達した ( 12 世紀の下期に ) 。

ファサードとアプスの間に、ロマネスク様式の教会の内部空間は、部分的に絵画からなる(上層部に限る)装飾の題材を特徴とした。しかし、我々は、柱頭の比喩的な彫刻の表現に関する解釈を仕上げなければならない。身廊では、物語の進行が、基準であった。他の場所の、柱頭のグループは、教会の特定の部分のために意図された。周歩廊と聖歌隊席は、受難と復活(時にはPublic Life、ヨハネの黙示録そして最後の審判が伴った)のテーマを受け入れた。決まった法則に、教会の中で彫刻の配置が左右されるということはない。;しかし、身廊は、救済を表す彫刻、聖人の生涯、そして新旧約聖書の結ぶ予型論の文書でしばしば飾られた。

建築と装飾の関係をを理解するために、我々は、教会家具に描かれた、また彫刻された装飾の装飾の関係も考慮しなければならない :バルダッキーノ(天蓋)、聖歌隊席の仕切り、アンボ(読経台)そして復活祭の枝つき大燭台 ( イタリアでは、これら全てが石で彫刻された ) 、さらに木製の、キリスト、マリア、或いは西ヨーロッパ全体で見られる十字架降架のantepedia(アンテペンディウム antependium(前飾)か?:訳注)と彫刻。

(彼女の膝の上の子供と共に正面を向いて座った)聖母(Virgin) は、おそらくロマネスク様式の彫刻の最も代表的なイメージである。父の知恵(the Wisdom of the Father)の玉座としてのマリアの表現は、受肉の教義を集約した。;彼女の硬直した表現は、ゆっくりと(12世紀末までに)彼女が母と子の優しさを柔軟を伝えるまでに、発達した。

これらの像は、祭壇に置かれ、行列の間を運ばれたことであろう。これは、また、キリストの木彫でも同様になされた。;彼は、一般に十字架上で生きている様に表現される ( 長いチュニック或いは下帯を纏って ) 。木製の彫刻のレパートリー中で、その十字架の系譜は、教会で見られた、木製の家具の最も人目を引く劇的な例であった。そのようなグループは、復活祭の時期の神聖な表現と結合し、身廊の別の部分を占めることがある。;それらは、またエントランスの上或いは群衆と聖職者を分離する隔壁の上にも吊るされることがあった。そしてそこでそれらは、さらなる効果的を演出した。


壁画の芸術


Sant Pere del Burgal 。フレスコ画の詳細。12世紀の第 1 四半期。この画は、 Pedret流派に属し、洗礼者聖ヨハネと12使徒パウロを示している。
( Museu Nacional d'Art de Catalunya 、バルセロナ )

モザイクの技術


ムラノ。モザイク貼りの床の詳細。1141年。この例は、opus 流派に属し、石、煉瓦、大理石、飾り焼結ガラス(パート・ド・ベール)のテッセラ( 1cm2 から2cm2の立方体 )で作られており、2羽の鳥(花びんの両面に一羽づつ)が見られる。

多色塗の木の彫刻


いわゆる Majestat Batllo 。Olot。カタロニア。12世紀半ば。高さ :96 cm。キリストは、ウエストで縛られた長いチュニックを着ている。彼の髪の毛とあごひげは、ふさふさとしている。そして、彼は、印象的に威厳のある雰囲気を漂わせている。
( Museu Nacional d'Art de Catalunya 、バルセロナ )

彩飾された写本の芸術。


北スペイン。 Liber Testamentorum ( 契約の書) 。1118年頃 。
中央に、王座を占める聖 Bertin (右手に司教杖を持ち、左手を、Abbott Odbert によって彼に差し出された本を受け取るために、伸ばしている)がいる。             (Oviedo.Cathedral Archive)

創造


タペストリー。詳細。11世紀末-12世紀初め。リネン。4.55 m x 3.45 m 。中央の若いひげのないキリストは、宇宙の創造を命じている。(Museu de la Catedral。Gerona。)

絵画が描かれたヴォールト


Saint-Savin-sur-Gartempe 。バベルの塔の建設。身廊の屋根から。12世紀初期。キリストは、ニムロデが石工たちに石材を持ち上げている間、建設業者たちに説教している。その構図は、遠方から容易に読みとることができる。


参照

THE ROMANESQUE
Towns,Cathedrals And Monasteries
XAVIER BARRAL ALTET
第6章図説

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