第1章 図画解説


(1555-1556年の)スルタン、スレイマンによる花押(免許状)。この公文書は、(その時代のモニュメントを覆った優美なタイル工芸に似た)非常に洗練された装飾的なレタリングを示している。
(メトロポリタン美術館。ニューヨーク。Rogers Fund。1938年。38.149.1。

スルタン・スレイマン壮麗王は、(多彩色のタイル貼細工が施された)彼の宮殿(トプカプ・サラユ)の、ドーム型の天井の下で王位に就いた。彼の前には、せせらぎの聞こえる泉のある中庭がある。ペルシャの伝統に従って、タブリーズ派のトルコの細密画は、ティアード・パースペクティヴ(段々になった遠近法:訳注)で建築を表現した。1558年に完成された、スレイマンナマ(スレイマンの本)から。
(トプカプ・サラユ博物館の図書館。イスタンブール)

陶磁貼
カキツバタ、カーネーション、ヤグルマソウ、そしてチューリップがオスマン朝の建築をその花のアラビア唐草模様で装飾する多彩色のタイルに散りばめられている。装飾タイル美術は、タブリーズの工房で誕生した。そしてその時代、セリム一世は、1514年のペルシャとのシャルディランの戦いの直後に、イズニークに多くの職人に連れてきた。それ以降、イズニークは、トルコ陶磁の一大生産基地となった。
(私蔵)

ルーム・セルジュークのスルタン国
13世紀のルーム・セルジュークのアナトリアの王国。西部アナトリアでは、ニカエアの王国とラテン王国(1204年のコンスタンティノープル占領の直後に創設された)だけが、トルコに対抗した。北部では、ビザンティンが、依然として、トレビゾンド(古代のトラペズス)の王国を維持していた。南東部では、ルームのスルタン国がアイユーブ朝スルタン国とペルシャ帝国と国境を接していた。

エルズルムのシフテ・ミナレ・メドレセシの柱廊
13世紀中頃、トルコ建築は、新しい綿密な段階(タイ・ビーム(繋ぎ梁)によって補強された四心アーチ、そして幾何学模様の装飾によってそのリズムが強調された柱を示す)に入った。

中央ヨーロッパとの衝突
スレイマン壮麗王の時代は征服の時代であった。1529年に、
スルタンのトルコ兵は、ヴィエンナ(皇帝カール五世の首都)を包囲攻撃した。その包囲攻撃の失敗は、ヨーロッパでのオスマン朝の拡張の終焉を意味した。1558年のスレイマンナマ或いはスレイマンの本の細密画(攻撃中のベオグラードを表している;それは1521年に陥落した)。
(トプカプ・サラユ博物館の図書館。イスタンブール。)

輸送基地としてのアナトリアのキャラバンサライ
小アジアの高原にある、ルーム・セルジュークによって13世紀に建設されたキャラバンサライは、中世の教会の身廊を思わせる素晴らしいヴォールトが架けられた空間を示している。カイセリの近くのそのフルタンハヌの冬のホール(1232年を端緒とする)は、中央アジア或いは地中海を行き来する商人たちの旅の為に便宜を図る為に、建設された。

装飾されたファサード
1265年に建設された、コンヤのインジェ・ミナレ・メドレセシのファサードは、彫刻された豪華な装飾(アナトリアのセルジューク美術の典型)を示している。碑文の帯は、幾何学と花のモティーフと交互になっている。

アナトリアの神秘主義の施設
コンヤに立つメヴェラナ或いはジャラ・アッディン・ルミ(神秘主義者で詩人。バルクで生まれ、1273年にコンヤで没す。)の霊廟。それは、廻るダルウィーシュ(踊り狂うイスラム神秘主義の修行者:訳注)と呼ばれた修道士たち(彼らは、絶え間なく回転するダンスによって引き起こされるトランス状態を通して精神的イルミネーションに達した)の施設である。緑色のタイル(緑はイスラームの色である)が貼付けられたメヴァラナのチュルベ(霊廟)は多くの巡礼者の目的地である。

エディルネのキュッリイェ
1365年から1453年のコンスタンティノープル占領まで、エディルネはオスマン朝の首都であった。ベイェジト二世(1481-1512)(彼はその前の首都に関与した)は、ハイレッティンに宗教的複合施設或いはキュッリイェをその都市に建設させた;その複合施設はオスマン建築の改革に於いて、重要な事象を印した。それはモスク、マドラサ、そして病院を包含した(全て1484-1488年を端緒とする)。

シナンの最初の傑作
イスタンブールのシェフザーデ・ジャミ(1543-1548年)に、シナンは、スレイマンの為に、彼の最初のスルタンのモスクを建て、彼の長い職歴を通じて彼が振り返った、集中式プランを完成した。スレイマンは、既に、より荘厳なモスク、即ちスレイマニイェの建設を命じていた。

スレイマニイェのドーム
シナンのスレイマニイェは1550年に竣工した;それは彼の経歴とオスマン建築に於ける重大な時期を印す。象徴的な意義と共に、スレイマニイェに授けられたアヤ・ソフィアとの類似性は、スルタン・スレイマンと皇帝ユスティニアヌス(その治世にそのビザンティンのバシリカは建てられた)の関係を強める意図があった。半円ドームとティンパヌムによって補強された中央のドームは、間違いなく、バシリカを、従ってスレイマンの皇帝の遺産の継承権を、匂わせている。


エディルネのセリミイェ
1574年に、スレイマンの後継者、セリム二世の治世に、スレイマンは彼の大傑作、エディルネのセリミイェを完成した。スルタンのモスクの中央の空間は、八角形である;ティンパヌムがスチンチと交互している。光に溢れた、内部空間は、直径31m、床上45mの単独のドームの直下にある。

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