第2章 図画解説


装飾的言語
セルジュークの装飾は、多肢に渡る情報源に因っている。それは、トレーサリー(狭間飾り:訳注)、星、スタラクタイトのモチーフで形成された幾何学模様と、そして花輪、花束、蔓の葉のような花をテーマとしたもの、の双方を使っている。古代のシンボル(椰子、ザクロ、アカンサスの葉、そして神話の樹木のモティーフ)は、コリント式の柱頭(多くの外観に現れる)のような古典オーダに由来するモティーフと交互している。

アラブの科学の遺産
トルコの王朝の中で、 Artukids (ディヤルバクルとマルディン(上メソポタミア) の地域を支配した) は、アラブ人によって伝えられた古典遺産を育んだ。この十二宮図は、アル・ガザリー(ナスレッティン(1185-1200)の宮廷で1200年以前に過ごした学者)によって書かれた、自動装置、水時計、そして照応式時計に関する写本に載っている。その写本は、中世のイスラーム世界における機械工学に関する情報の重要な情報源である。
(トプカプ・サライュ博物館の図書館。イスタンブール。)



ディヤルバクルのウル・ジャミ
東アナトリアの、このいわれのあるモスク(上)は、8世紀を端緒とする。1091年以降、それは、トルコの建築家によってかなり修正されている。しかし、そのプランは、明らかにダマスカスの大ウマイヤモスクに由来する。さらに類似している点は、その古代のエレメント(下)の再利用にある:コラム、柱頭、そして蔓の葉のモールディング。それは、アナトリアの最も古いイスラームのモニュメントの1つである。

古典的プラン
ディヤルバクルのモスクの長方形のプラン :短い中央の身廊の両側にある三つのベイ、そしてその広大な中庭、全てが、卓越したモデル(715年に建てられたダマスカスの大ウマイヤ・モスクのそれ)に由来する。

アラエッディン・ジャミ
ニーデのアラエッディン・ジャミ(1223年に建てられた)は、アナトリアの成熟したセルジュークの建築の例の一つである。礼拝堂へ通じる、その円筒のミナレットと枠取りされた門(ピシタク)は、厳格なシル エットを示している。

セルジュークの装飾
ニーデのモスクのポータル(玄関廊)には、アナトリアのセルジューク美術の典型であるスタラクタイトのニッチが載せられている。装飾的ムカルナスは、コーベル(持出し)の連続によって造られている。

ヴォールトが架けられた礼拝堂
一連の僅かに尖ったバレル・ヴォールト(短い柱の上に載り、四つの四心アーチに支えられている)は、ニーデのアラエッディン・ジャミを被っている。床の上のカーペットは、礼拝式の平伏の為のものである。

アラエッディン・ジャミのプラン
プランが長方形の、その礼拝堂は、3つの通路と5つのベイから成り、一つの面の扉から入る。そのヴォールト状の天井を支えるアーチは、8本の四角い柱から迫り出している。一方で、ミフラブに先行するベイには、3つのドームで屋根が架けられている(それらのうちの1つは、8つのウェブから成るドーム状のヴォールトである)。

アーケードのある礼拝堂
カイセリのフアント・ハトゥン・ジャミは、1237年を端緒とする。その広大な礼拝堂は、プランが長方形で、8つの通路と10のベイから成る。その中央では、ミフラーブの前にある光井が、ドームが架けられた空間の前方にある。僅かに尖ったアーチは、ウインド・ブレーシングを備えている。

ムカルナスの構成
カイセリのフアント・ハトゥン・ジャミのポータルは、スタラクタイトのニッチ(その幾何学的なデザインがその構造上の機能を誤魔化している)が載せられている。

カイセリのフアント・ハトゥン・ジャミの複合施設
縦方向の断面図と平面図:左は、中庭のあるマドラサ;右は、モスク。美しい八角形の中央は、2つの建物の接合点に立っている。礼拝堂の8つの側廊と10のベイは、48本の矩形の柱(ミフラーブの前のドームが架けられた空間の中の量隗感のある柱に取って代えられた)に載ったヴォールトで屋根が架けられている。その断面図は、採用された屋根葺き技術の多様性を例証している。

エシュレフォール・ジャミ
ベイシェヒルのエシュレフォールのモスクは、1298年を端緒とする。その7つの通路と9つのベイは、長方形 ( そのコーナーの一つは、エントランスを形成するために切り取られている)を形成する。内部の、スタラクタイトの柱頭を持つ、約50本の美しい木製のコラムは、平らな木構造の屋根を載せている。ミフラーブの前には、2つの光井がある。その側壁の1つに対して立つチュルベが、その複合施設を完結している。

スタラクタイトの柱頭
エシュレフォール・ジャミの木製の柱頭は、いかにセルジュークの建築が、トルコの種族が源を発した遠隔地の製品が、イスラームの伝統の因習を吸収するようになったかを、例証する。

木製のコラム(丸柱:訳注)
ベイシェヒルのエシュレフォール・ジャミのの屋根を載せる高く優雅なコラム。そのモスクは、アナトリアのセルジュークに特有の礼拝堂の古典的形態を例示する。そのモデルは、中東の建築の典型的な作品(アケメネス朝、ヒッタイト人、メディア人、そしてウラルトゥ人のアパダナapadana(多柱式のホール)のように思われるであろう。

多彩色の石造建築
1220年に完成した、コンヤのアラエッディン・ジャミのポータルの上のアーチのディテール。暗色と明石が、迫石の中に交互に置かれている(それらの上の交差アーチにマッチするように配置されている)。同じ手法が、まぐさの層の特徴になっている。まぐさそのものは、トルコ語の装飾的彫刻が刻まれ、ムカルナスで飾られた彫刻が施されたフレームの中に置かれている。

派生した装飾的語彙
セルジュークの装飾は、古代のモデルをイスラームの新しい言語に適応させた。ここの、柱頭は、コリント式に由来する、一方で、ジクザク形は、「 salomonic 」コラムからその発想を得ている。

古代の略奪品
コンヤのアラエッディン・ジャミのファサード。多彩色の石材の幾何学的モチーフを持つ大ポータルの左右に、装飾的なフリーズを形成する一連のベイがある ;それらは、ビザンチンの建物から取った石のブロックを使っている。

スタラクタイトのファサード
コンヤのビュユク・カラタイ・メヂレセシは、1251年を端緒とする。そのポータルは、アラエッディン・ジャミの交差迫石を模倣しているが、多彩色のティンパヌムは、浅浮彫りのスタラクタイトの優れた表示と替えられている。

セラミック(陶磁:訳注)のモザイク
そのマドラサは、内弧面が陶磁の星のモチーフで被われたドームに付けられたオクリ(円形窓:訳注)によって光が採られている。トルコの三角形は、正方形の平面プランからドームの円形の基部までの遷移を行い、同様の陶磁のリーヴィメント(舗装:訳注)が施されていいる。

多彩色のミフラーブ
アンカラの、セルジューク・アルスランハネ・ジャミは、エミール・サイフェッディンによって建てられたと考えられている。美しいスタラクタイトのミフラーブは、青色の釉薬がかけられた煉瓦の使用によって一層魅力的なものとなっており、1289年を端緒とする。そのムカルナス工芸は、非常に洗練された幾何学的デザインである。

非対称的調和
コンヤのインジェ・ミナレ・メドレセシは、1265年を端緒とする。その正方形の中央のホールはヴェスタビュールを経由して入り、ビュユク・カラタイ・メドレセシでの様に、その中心部に円窓ののあるトルコの三角形の上のドームで屋根が被われている。その大きな、軸方向にあるイワーンは、2つのより小さなドームが架けられた部屋(そこでは、それらのドームはトルコの襞に載せられている)に挟まれている。

美しいファサード
そのファサードは、素晴らしいピシタクを包含している;その豊富な装飾は、碑銘の列段と、花と幾何学のモチーフが混ざっている。その右では、 「細長いミナレット」(そのマドラサはそれに因んで名付けられた)が、彫刻された石と多彩色のタイルの先駆的結合を示している。ミナレットの三番目の段は、その世紀の変り目の頃の地震の間に落下した。

創案の豊富さ
コンヤのインジェ・ミナレ・メドレセシのコーナーの植物のモチーフ(左) は、同じポータルの幾何学模様のトレーサリー(間飾り)(右)と全く対照を成している。セルジュークの装飾的彫刻は、様式的特徴を茶化している。

並列と対比
ピシタクのより詳細なディテール。そのコーナーの、透かし細工の結びは、花の帯(それ自身が装飾的銘を形作 っている幾何学模様のモールディングと対照をなしている)を背景に浮きだしている。セルジュークの建築の折衷主義は、これらの思いがけない並列に例示されている。

権威ある独創性
この、コンヤのインジェ・ミナレ・メドレセシのポータルの見上げの外観は、13世紀のセルジュークの装飾言語の豊富さを明らかにしている。そのピシタクの装飾は、植物を幾何学のモチーフと拮抗させ、花の帯を(滑らかに突き出した形をした複雑な浅浮彫りを並置する)銘を拮抗させている。



印象的なファサード
アナトリアの高原にある、エルズルムの、チフテ・ミナレ・マドレセシは立っている(1253年に建てられた)。その対称形のファサードは、釉薬がかけられた煉瓦で造られた、2つ縦溝付きのミナレットを載せている(それからその建物は名前をとった)。右側のミナレットの構造は、地震によって不安定にされた。

柱廊のある中庭
エルズルムのチフテ・ミナレ・マドレセシのプランは、巨大な12角形のチュルベを持つペルシャ式のイワーンから成る中庭と結合している;そのチュルベは、主要なイワーンの軸の延長を形成している。教師と助手の部屋は、2階建てで中庭の周囲に配置されている。

石材で作られた装飾的なインターレース
チフテ・ミナレ・マドレセシのポータルの両側の、スタラクタイトのニッチは、シャンルヴェの技法(金属板に装飾図様を彫り、彫ったくぼみにエナメルを詰めて焼き付ける)で彫刻されたひと綴りの織り合わされたモチーフを与えている。コラムと柱頭は、豊な花の装飾の下になって、ほとんど姿を消している。

繁茂と節度
中庭の柱廊の装飾には、規則正しさが、ほとんど或いは全くない。織り交ぜられたモティーフを持つコラム(交互に、その面が繰り返しのモチーフで被われた八角形のものを従えた) は、装飾のないコラムを従えている。

柱廊のある中庭
四心ポインテッドアーチの後にある、エルズルムのチフテ・ミナレ・マドレセシの中庭は、二階建ての柱廊を示している;背景には、エントランスを挟む2つの煉瓦造のミナレットがある。

二層のアーケード構造
中庭を囲むコラムとポインテッドアーチのリズムは、威厳のある軸に沿ったイワーンによって強調されている。一階のレベルの、繋ぎ梁は、アーケードの安定性を確保している。

ハトゥニイェ・チュルベシ
セルジューク族の墓或いはチュルベは、発展的な装飾のレパートリーと結びついている。
エルズルムのハトゥニイェ・チュルベシは、1255年を端緒とする。その円錐形の屋根の下には、数種の異なるフリーズがある。一方で帯状のモールディングはその八つの面のそれぞれを決めているアーチの輪郭を描いている。

記念碑的な墓
ハトゥニイェ・チュルベシは、彼女の父(カイセリで1237年に死亡した)を記念したスルタン・アラエッディン・ケイクバドの娘によって建てられた。それは、ペルシアの塔墓(一般に煉瓦で建設された)に着想を得ている;ここでは、荒石の壁が、切石で上張りされている。

イィヴィリ・ミナレ
南部アナトリアの、アンタルヤの海岸の町に、素晴らしい煉瓦造のミナレットが、(モスクに変えられた)ビザンチンの教会の側に、建てられた。イィヴィリ・ミナレは、ケイクバド一世によって建設され、1230年を端緒とする。その優雅な縦溝のある形態は、正方形の基壇に置かれた八角堂から立ち上がっている。

偉大なスルタンの墓
シバスの、スルタン・ケイクバド(1211-1220) は、1217年に病院を建設した。これは、後に、シファイイェ・メドレセシに変えられた。ここに、イワーンの背後に建てられた支配者のチュルベ(下)が、立っている。その存在は、青い陶磁の銘(上)によって知らしめられている。

印象的なファサード
シバスのギョク・メドレセシ。対称的なファサードの中央に、ニッチがスタラクタイトで豊かに装飾された、素晴らしい石造のポータルがある。2つの煉瓦造のミナレットは、ムカルナスの列に載せられたギャラリーを持ち送り積みで張り出している。

シバスの豊かな彫刻
シバスのセルジュークのモニュメントでは、極端に飾りたられた形式が主流であり、ほとんどの多種多様なモチーフが、一緒に見られる。1271年に建てられたギョク・メドレセシのポータルのディテール。

四つのイワーンを持つマドラサ
ムザフェル・ビュリュジイェ・メドレセシ(左)とギョク・メドレセ(右)のプラン(双方ともシバスにある)は、明らかなペルシアの影響力を見せている;どちらとも、建物の4つの軸に配置されたイワーンに囲まれた中庭の周囲に建てられている。

中庭のアーケード
ムザフェル・ビュリュジイェ・メドレセシの、横にあるイワーンは、ポインテッドアーチの割り増しの幅とその背後の凹所によってのみ、区別されている;それは、その建物の4つの軸のうちの1つの上に立っている。

トルコの「バロック様式」
シバスのムザフェル・ビュリュジイェ・メドレセシのポータルの、スタラクタイトのニッチは、(碑文で刻まれた素晴らしいライムストーン(石灰岩:訳注)の平縁の下の)花のモティーフで満ちた表面に、配置されている。4つの奇妙な突き出したエレメントは、花のモチーフで優美に刻まれている;それらの影は、それらの後ろの混み合った表面を生き生きと描き出している。

ピシタクのポータル
ムザフェル・ビュリュジイェ・メドレセシのポータルの全体像は、如何にしてその出入口が構成されているのかを明瞭に示している。その装飾は、アナトリアのセルジューク族の建物のそれを例示している。中央の、中心の中庭への扉は、交互になった迫石で、窪んだアーチの下に開いている。

チフテ・ミナレ・ポータル
その都市の多数の主要な建物と同様に、シバスのチフテ・ミナレ・マドレセシは、イルハン朝を代表したモンゴルの総督の作品である。モンゴル族の存在は、13世紀待つのルーム・セルジューク様式の発展に於いて、殆ど影響を与えなかったように思われる。ここの、多彩色の釉薬がかけられた煉瓦造の二つのミナレットの下の、そのポータルの形態は、力強いムカルナスの構成によって強調されている。

彫刻のモチーフ
これらのシバスのチフテ・ミナレ・マドレセシのポータルの三つのディテールは、絶妙な透かし細工のモチーフ(上)、豊富なインターレースと花のモチーフ(中) 、異なる枠の図案とコリント式の柱頭の自由な変種の並置(下)を示している。

繊細な彫刻
カイセリのドェネル・キュンベトは、1275年を端緒とし、エルズルムのハトゥニイェ・チュルベシの様なスタラクタイトと花の装飾の混合を示している。

ドデジャゴナル・チュルベ
ドョネル・キュンベトは、王女、シャー・ジハン・ハトゥンに捧げられた。それは、正方形の基壇(それの斜めに切り取ったコーナーが、それを部屋の壁の 12角形の基壇と連結している)に載っている。その屋根は、円錐形である。

突き出したヴェスタビュール(玄関)
カイセリのアリ・ジャフェル・チュルベの断面図と平面図、14世紀の後期の作品、八角形のプラン ;屋根の下の、半円形の断面のドームは、ヴェスタビュールに先行される、葬儀部屋の天井を形成している。

カラマン霊廟
タウルス山の裾野にある、カラマンの都市は、13世紀と14世紀の間のエミール国の首都であった。このオアシスに、非常に質素なカラマノール・アラエディン・ベイのチュルベが立っている。

後期カラマン朝の作品
ニーデのハトゥン・チュルベシは、1312人に遡る創造的な作品である;それは、スルタン・リュケディン・クルチャルスラン四世の娘によって建てられた。スタラクタイトの持出し(コーベル)によって支持された、そのアンダカットされた基壇は、八角形の建物を載せている。ムカルナスのキャノピーは、外部のスキンチの形をした各コーナーに突き出している。

一風変わった解決法
ニーデのフダヴェント・ハトゥンのチュルベのディテールは、その建物ののコーナーにあるムカルナスの突出部を示している;幾何学と植物のモチーフが、装飾の中で、交互にくる。

キリスト教の影響
フダヴェント・ハトゥン・チュルベシの透かし細工窓の上の、レリーフで彫られた2羽の鳥は、アルメニアの彫刻、そして、特にヴァン湖の中のアクタマル島にある聖十字架教会の装飾との顕著な関係を示している。

TURKEY

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