第5章 図画解説


スレイマン、壮麗王
これは、西欧で、最も輝かしい、オスマン朝の支配者に与えられた称号であった。スレイマンは、1580年頃に描かれた、シャーマイル・ナメの細密画が中で、ワシのように鋭く、洞察力あり、そして濃い髭ある顔立ちとして表現されている。
(イスタンブールのトプカプ・サラユ博物館の図書館)

宮廷儀礼
ハンガリーの Szigetvarのトルコの軍営地の儀式用のテントの内で、スルタン・スレイマンは、トランシルバニアの王子John Zapolya(深くお辞儀をしている)に接見している。
ハンガリーの代表団は、見つめている。この細密画(300×200o)は、1568-1569年に大宰相メフメト・パシャ・ソコールに献上された、アフメト・フェリドゥーン・パシャの年代記にあるものである。
(イスタンブールのトプカプ・サラユ博物館の図書館)

勝利の年代記
スレイマンナマ(スレイマンの本)は、1558年に完成された。このページは、ハンガリーの町を強襲するスレイマンのイェニチェリ(精鋭軍:訳注)を示す。包囲攻撃を指揮しているスレイマンが、右下に見える。左の工兵は、敵の壁の下を掘っている。一方、マスケット銃によって武装した軍隊は、要塞の防御者に発砲する。
(イスタンブールのトプカプ・サラユ博物館の図書館)

ユスティニアヌスから継承した要塞化された都市
主要なオスマン朝のモニュメンタルとトルコの首都を囲む陸地と海域の城壁の場所を示す、16世紀と17世紀のイスタンブールのプラン

大砲を指揮するスレイマン
スルタンは、最近の軍事的発達を承知しており、大砲の重要性を直ちに理解した。彼が西側から連れてきた優れた鍛冶工たちは、恐るべき火力を彼に用意した。帝国の町の包囲を示すスレイマンナマ(1558)の細密画のディテール。
(イスタンブールのトプカプ・サラユ博物館の図書館)

セリム1世のモスク
イスタンブールのスレイマニイェは、スレイマンによって、彼の父セリ1世の死後の1522年に完成された。しばしばアチェム・アリのものだとされるが、セリミイェは、実際はハイレッティンに起因するものに違いない。多くの点で、そのモスクは、彼の作品の典型である(特に中庭の横軸上に配置された柱廊のコラムと礼拝堂の両側にそれぞれが位置する十字形のマドラサ)。その建物の平面図と縦方向の断面図(直径24.5mのドームを持つ)はイスタンブールのバヤジド・ジャミのと同じ手によるものである。

シナンの最初の傑作
イスタンブールのシェフザーデ・ジャミの平面図と縦方向の断面図。それは、建築家シナンによってスレイマンのスルタン・モスクとして1543年に建てられた。その建物は、並んで配置された同じ面積の2つの四角形から成る。シナンの集中式プランは、アヤ・ソフィアのそれと対比される;ここの、その中央のドームは、4つの半円形のドームによって補強されている。スレイマンは、後に、新しいスルタン・モスク(スレイマニイェ)を造ることを決め、若くして死んだ彼の息子メフメトを偲んでシェフザーデを奉納した。

シェフザーデの屋根
集中式プランを使うことによって、シナンは、あらゆる面から、屋根葺きの同じシステムを効果的に見せる、建物を創った。それは、このように、その頂点として中央のドームを持つ一種のピラミッド状のものである。ここの、2つのミナレットの一つ(もう一つは、ドームに隠されている)は、礼拝堂と中庭の接合部を形成している。

一連の明快な構成
シェフザーデの礼拝堂の長方形の形(古代のイスラームの伝統に適応した)を強調するために、その建築家は、優美なギャラリーを長方形の短辺に配置した。その円筒形の塔は、礼拝堂の中央ドームとコーナーの間で対角線上に、控え壁を形成している。

正方形の中庭
シェフザーデのポルティコ(柱廊)の広い優雅なアーケードは、それぞれの面で五つのドームを支えている。それらの幅は、一枚岩のコラムの細さを強調している。イスタンブールのバイェジト・ジャミのそれのように、サディルヴァンは、八本のコラムに載るキオスクによって守られている。

四つ葉の構成
このシナンのシェフザーデの屋根の景は、中央ドームを補強している四つの半円形ドームのシステム(美的統一性と卓越した耐久力が結合した構造)を示している。

透明感のある空間
シェフザーデの屋根における、二重の軸の対称性の構造的な明快さは、シナンの熟達を示している。中央ドームは、直径わずか19mで、舗装された床の真上の要石までわずか38mあるが、その建物は、本当に注目すべき、明るさと優雅さを備えている。これは、青のモスク(同様のプランで60年後に建てられた)と比較すると特に顕著である;その重厚な円筒形のピアは、シナンの多面的な支持材の優雅さとは全く異なっている。

模範
コンスタンティノープルのアヤ・ソフィアのバシリカの横断面図と縦断面図、そして平面図。それは、トラレスの建築家アンテミオスとミレトスのイシドルスによって 532年に建てられた。ユスティニアヌスの壮大なバシリカは、類のない傑作(ローマの建設技術とビザンチンの芸術の最も素晴らしい成果)である。

称賛に値する解釈
1550年に建設が始められ、建築家シナンによって設計された、イスタンブールのスレイマニイェの横断面図と縦断面図、そして平面図。基礎的なデザインは、アヤ・ソフィアに多くを負っているものの、それは、シナンの芸術の顕著な特質を持っている。

スレイマニイェのドーム
この屋根構造の景は、シナンの技巧を明瞭に示している。主たるドームは、直径27mで、その基部に32箇所の明かり窓を持っている;それは、舗装された床上、54mに達する。四つのペンデンティブによって、それは、側面に沿って、ティンパヌム真上の二つ大アーチに載っている ;それらのアーチは、窓でいっぱいである。左と右は、ティンパヌムを支えている花崗岩の岩コラム。

ユスティニアヌス時代のビザンチン帝国
6世紀のバシレウスの領地は、ペルシアから南スペインまで伸び、地中海をキリスト教の湖にした。スレイマンの政策は、イスラームの支配の下に、この帝国を再構築することであった。

都市像を計画する
ボスフォラス海峡と金角湾に聳える、スレイマニイェのシルエット(その細長いミナレットと高いドームによってを持つ)は、イスタンブールを特徴付けているものの一つである。シナンは、彼の通例の権限によって都市景観を改造した。

意味深い類似点
このスレイマニイェの横断の景(上)は、中央ドームを補強している二つの半円形ドームを示 し、アヤ・ソフィアの屋根(下)との類似点を明らかにしている(同じ角度で撮った写真)。ビザンチンのバシリカでは、形態が、形態に流れ込んでいる;シナンは、構成要素である建築部位を強調する手法を好んだ。

スレイマニイェとそのプロトタイプ
(窓が散りばめられた側面のティンパヌムを持つ)スレイマニイェのバシリカ式空間の縦方向の形(上)と、そのモデル、アヤ・ソフィア(下)。アヤ・ソフィアのアーケードのある側面のギャラリーの代わりに、シナンは、大アーチを開いた。このようにして、側面の空間の連続性を確保した(それらのアーチが、その写真の下のコーナーに見える) 。

ムカルナスの柱頭
スレイマニイェの中央の区域をささえてりうピンク花崗岩或いは斑岩の大コラムは、それらが負担する膨大な重量を担う追加支持材として、スタラクタイトの柱頭と金色のブロンズのリングを持っている。

スレイマンの伝説のコラム
スレイマニイェの中央の区域と側廊の間に立っている、ピンク花崗岩或いは斑岩の一枚岩のコラムは、古代のスポリアである。スレイマンにとっての、それらの大儀は、帝国の伝統を表すことにあった。スレイマニイェのこれらのロマノ‐ビザンチンのコラムに与えられた浮彫りは、ユスティニアヌスのマント(権威の象徴/訳注)に対する彼の正統性を象徴した。

調和がとれた形態
南のミナレットの高さから見た、シナンによって配置されたスレイマニイェの技巧的建築部位:中央ドーム、明かり取り窓が穿たれたドラム、そして控え壁。特に、メインドームの推力を補強するリブを持つドームに覆われた力強い八角形のピアに、注目。

華麗な権威性
その段々に積まれたドームを持つ礼拝堂の前の、スレイマニイェの中庭は、広いオープンスペースを備える。三つの回廊を持つミナレットは、高さ81mに達する。

柱廊の装飾
スレイマニイェの中庭の開け放たれたアーケードは、水晶構造のような外観を持つ美しいスタラクタイトの柱頭を持つ一枚岩のコラムに載っている。

アトリウムのイメージで
スレイマニイェの中庭は、長辺に九つ、短辺に七つのドームを持っている;ここのその広いオープンスペースは、北東のミナレットの細長い形態(二つギャラリーを持ち、高さ63mに達する)と対称的である。そのモデル、アヤ・ソフィア、のアトリウムの心房のように、スレイマニイェの中庭は、長方形である。

明瞭な輪郭
シナンのスタイルの特性のうちの 1 つは、彼の建物(ここでは、スレイマニイェ)の明瞭な輪郭(特に壁の笠石を強調するモールディング、そしてムカルナスやスタラクタイト野様な伝統的な部位)にある。その縦樋は、一種の早咲きの機能主義を示す、質素で、明確な形態を持っている。

ギャラリーのエントランス
スレイマニイェの壁と窓の構成は、力強い控え壁の間に、外側のギャラリーを備えている;それらは、優雅な二番目のエントランスとしての機能を果たしている。

ラインの純粋性
ギャラリーのアーチを分割するスパンドレルは、斑岩のディスクで装飾されている;その図式は、迫石の交互になった暗色と明色の石材に調和している。一つの古典的モールディングが、この簡素な装飾の上を走っている。その効果は、フィレンツェのブルネレルキーの Spedale degli Innocenti (1421-1424)、ウルビノのLaurana's Palazzo Ducale(1465年頃)、或いは、ローマのPalazzo della Cancelleria ( 1485-1511 )、を思い起こさせる。シナンが、トプカプ宮殿に住み込みのイタリアの画家に、これらのスパンドレルのデザイン(そして、他のルネサンス様式の使用に)に影響を受けた可能性がある 。

三分割された構成
スレイマニイェの外側のギャラリーは、厳格な論理性と創造的な自由性の融合を示している。その柱廊は、大きなポインテッドアーチを頂部に載せ、三つのアーチ(壁に融合している外側のアーチ)から成る。従って、左と右のスパンドレル装飾するディスクは、半ば割り込まれている。それとは対照的に、対称を無視した、扉が、右(別の例では左)の最後のアーケードの中に配置されている。

石材の透かし細工
スレイマニイェの外側のギャラリーの手摺りのディテール。大理石のクラウストラのトレーサリー(狭間飾り/訳注)は、六つの尖部をもった星形のモチーフに基づいている。

スレイマンのキュッリイェ
スルタンの礎は、規則的なレイアウトである。その計画は、土地の形勢に適応しなければならなかった;スレイマニイェは、急勾配地に立っている。

1.モスク
2.スレイマンのチュルベ
3.サルタン妃 Haseki Hurrem のチュルベ
4.マドラサ
5.病院の調剤室
6.巡礼者の宿舎、または、大衆食堂
7.図書館
8.ハンマーン或いは浴場

信者を歓迎
スレイマニイェに赴く信者たちは、宮殿のオープンスペースに接する四つのマドラサにおいて収容される。それらのポルティコ(柱廊/訳注)のある中庭は、ドームの列 (それらの規則正しさは、背の高い煙突によって強調されている)で覆われている。

静寂な安息所
スレイマニイェの中庭のアーケードは、礼拝堂の前の空間に穏やかなリズムを創る、様々な高さを持つものである。

二連のハンマーン
イスタンブールのスルタナ・ハセキ・ヒュッレム(ロキセラナ)の浴場は、同数の男女に対して設計されていた。その相称的な構成は、ドームのレイアウトに明瞭に表されている。

実利に適った美しさ
アヤ・ソフィアから遠くない、イスタンブールのスルタナ・ハセキ・ヒュッレムの二連のハンマーンの側面の立面図、縦断図、そして平面図。シナン1556年に建設された、それは、全体にヴォールトが架けられ、そのドームは、鉛で覆われている。

浴場へのアクセス
「トルコ式浴場」そのものの前のトピダリウム(微温浴室/訳注)(イスタンブールのハセキ・ヒューレム・ハマムのカルダリウム(高温浴室/訳注)に通じる狭い回廊)は、小さなガラスのオクルス(天窓)が穿たれたドームで覆われている;そこには他に外部からの光源はない。

「トルコ式浴場」
ハセキ・ヒューレム・ハマムの円筒状の部屋のうちの一つ;それは、ガラスのオクルス(天窓/訳注)がちりばめられた優雅なドームで覆われている。この調和がとれた空間は、マッサージと休息に適している。蒸し風呂そのもの(それは、部屋のコーナーに小さな場所を取り、小さな自閉ドアによって入ることができる) の間の、キャビンが、訪問者を待ち受ける。

送水路建設者としてのシナン
イスタンブールの泉、公衆浴場、そしてサディルヴァンは、大量の水を消費した。供給量を増やすために、トルコ人は、ロマノ‐ビザンチンの時代から残存する相当数の送水路網に付け加えた。1563年にシナンは、ウズンケメル(「長い送水路」)(長さ716m、最高点で26m)を造るように依頼された。それは、ベオグラード・フォレスト(イスタンブールの北東約20q)の地域に、その水源を持つ、水をもたらす。

技術者の功績
以前は、軍事技術者であった、シナンは、物流の問題を解決することには慣れていた。エーリケメル(曲がった送水路)(長さ342m、三つのアーケードの最深部の高さ35m)は、ケムル・ブルガズの近くにある。それは、オスマン塔の建設業写たちの技術的熟達と、拡大する首都には水が欠かせないというスレイマンの想いに対する記念碑である。

メッカへの巡礼への中継地
メッカへの南下する道中にあるダマスカスのスレイマンのテッカは、中継基地として働くダルウィーシュ(神秘主義教団の修道者/訳注)の修道院である。それは、シナンによって1553年に(イスタンブールのスレイマニイェと同時に)建てられ、モスクを包含する。礼拝堂の装飾は、幾何学的で、アイユーブ朝とマムルーク朝の芸術に由来する。ペンデンティブ上の単独のドームは、正方形のホールを覆っている。

多彩色の石工
ダマスカスのスレイマンのテッカの、明色と暗色の石材(アブラク細工) の交互になった層は、セルジューク族によって採用されたアラブの伝統に由来する。その立方形の建物は、控え壁を持つ半球状のドームに載せられている;それは、二つの美しいミナレット(それぞれが単独のギャラリーを持っている )を持っている 。その建物の量感構成(volumetrics?) は、シナンの手法の典型である。

カラ・アフメト・パシャ・ジャミ
1550年と1562年の間に、イスタンブールで建てられた、スレイマンの大宰相ににちなんで命名されたモスクは六角形のプランである。大きな二組のスキンチで補強された主たるドームは、淡赤色の花崗岩の美しい再使用された古代のコラムの上に載っている。そのモスクは、格子細工のパネルを持つ特に素晴らしい大理石のミンバルを有している。

モスクの中庭に木
イスタンブールのミフリマ・ジャミの長方形の宮殿の上方からの景。このモスクには、二列の小さなドームを持つ、二連の側面の柱廊がある。中庭の中心にある、キオスクは、サディルヴァンを守っている。

隠れた補強部位
シナンによって建てられ、1565年に完成したミフリマ・ジャミの平面図と縦断面図。それは、八つの支持材にのった中央ドームを持つ長方形のプラン:四つの再利用された古代のコラム(短辺のそれぞれに二つづつ)、そして前部と後部の壁に組み込まれた四つのピア。そのエレヴェーションは、そのモスクがそのドーム(直径22m、高さ32mに達する)の推力に対応するための目に見える形での補強部位を持っていないことを示している。

光に満ちる内部空間
シェフザーデは、アヤ・ソフィアの模範に従い、さらに中央ドームを補強するために四つの半円形のドームを使った。シナンのミフリマは、彼の秀逸なモデルのもう一つの別の構成材、ティンパヌム(それは、ここでは、モスクの四つ全ての壁で使われている)を採用している。シナンの大胆さは、明るい水晶のような内部空間によって報いられた。

光が通る壁
ミフリマ・ジャミの奇跡は、補強材の欠如ばかりではなく、ドームを維持する壁に配された窓の数にある。そこには、ミフラーブ内に19箇所の窓とティンパヌムにさらに19カ所の窓(キブラの中に合わせて38箇所)がある。そのドームの基部には、さらに24箇所が明かり窓が付け加えられている。

妥協のない垂直性
イスタンブールのミフリマ・ジャミの奥廊は、ドームの推力を補強する八角形のコーナー・ピアの間にある単独の大アーチで構成された、絶壁面のように切り立ったファサードを示している。建築家、シナンは、彼の卓越した技巧をここに示している。

多彩色の陶磁
イスタンブールのミフリマ・ジャミは、部分的に六角形のイズニーク・タイルで飾られている ;それらは、この模範的な建物の厳格さを和らげている。

TURKEY

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