第8章 結び


トルコ族の建築の独創性

イスラム建築の他の潮流、そしてまた人類の大建築の遺産との関係における、セルジューク族とオスマン族の建築のこの600年の集約的概観に潜在する結論を下すことが、重要である。

ルーム・セルジューク族の時代に、イスラム建築の潮流は、成形された石材に基づいた建築技術によって、突き動かされ、伝統的なアラブの多柱式の礼拝堂より、むしろヴォールトが架けられた空間に集中した。ロマノ・ビザンチンの世界の影響は、この点で決定的であった。更に重要な影響は、アナトリアの大陸的な気候であった :灼熱の夏、と時折雪の降る寒い冬。これらは、それらの前提条件であった。ますます大きなスケールで造られた建物は、その結果であった :モスク、マドラサ、そしてキャラバンサライ。キャラバンサライの冬期のホールは、セルジューク族のスルタンの公共事業として、アルメニアとシリアの工匠によって演じれた役割を証言する ;それらは、中世アナトリアの建築を、ロマノ・ビザンチンの技術によって示された系譜に沿って発展することを可能にした、古代との繋がりを成した。

しかし、尖頭アーチの採用、そして装飾の幾何学様式は、一方では、設計の更なる厳密さを、他方では、建築装飾の成熟を導いた。13世紀末のトルクメン族首長国の下での、その権威の崩壊は、この建築術の言語を変えた。統治権者としてのオスマン部族の出現で、更に密接に、ビザンチンの遺産と接触した。これ、そして正教会のモスクへの変換は、イスラムの宗教的伝統である横長の長方形の代わりに、縦長の空間の創造へ導いた。新しいタイプのモスクが、その姿を現した :それは通常、単独のホールと共に前後に置かれた2つのホールよりなる内部空間を持った。これは、ブルサの宗教建築に当てはまる。しかし、コンスタンティノープルの陥落以前にはすでに、このタイプのモスクは、他のタイプに取って代わられていた。礼拝堂は、今度は、半球体ドームによって蓋をされた、1つの四角い部屋であった。この点で、威厳のある圧倒的な先駆者であるアヤ・ソフィアの教会は、オスマン朝の世界の建築的形態につきまとった。ハイレッディンとシナンの双方が、それに創造的刺戟を受けた(それが非常に差し迫って提供したモデルは、彼らの手で変えられたけれども)。

バヤジット二世とスレイマン一世の治世の輝かしい建築的成功は、(16世紀のトルコ族の建築によって熟達した)ビザンティンのモデルとの交互引力とそれからの激変を証言している。しかし、この時期は、西欧のルネサンスの時期でもあった。そして、神聖同盟の国々はそれと反対側に立たされたにも係わらず、オスマン帝国は、西洋の影響に反応を示さなかった。ともかく、古代文明の世界を求めて競う、対立する2つの文化には接点があった。そこには大使と商人がいた。ジェノバとベニスは、オスマン帝国に交易所を持っていた。そしてまたトルコ人は、彼らを宮殿(セラグリオSeraglio)に招くことによってイタリアの芸術家との関係をつくろうとした。また、彼らは、神聖ローマ帝国の主だった鍛冶工をイスタンブールに呼び寄せ、必要とした大砲を造らせた。

特にフランスのフランソア一世との条約が、締結された。人々は、移動し、そして、思想は、彼らと共に移動した。実り多い接触が、行われた。これの1つの成果が、同時代の東洋と西洋の建物の間で、時に感じる、印象的な類似性であった。我々は、エディルネのバヤジット二世のモスクの中庭のアーケードとフィレンツェのブルネレスキーのオスペダーレ・デリ・インノチェンティ(捨子養育院:訳注)のそれらを引き合いにだしてもよい ;或いは、シナンによって採用された集中式プランと、ブラマンテに、時に、起因したTodiのSanta Maria dells Consolazioneのそれ。もちろん、オスマン族の王朝の相対的な安定は、建築的大事業の継続を許した。ほとんど例外なしに、1人の建築家が、モスクとキュッリイェの建設を監理した。それとは対照的に、イタリアでは、ローマの新しいサンピエトロ大聖堂のような大事業は、口論、中断、建築家の交代、そして建設を停止させた財政危機に支配された。デザインの一貫性は、悪化していった。

16世紀のオスマン朝の建築について最も顕著であるのは、見事な建物の深遠な統一性である。根底から、法則と様式が、我々の賞賛を集める、活力、論理、そして統一性と共に与えられている。思想は、それらの当然の結果として伝えられる ;これらの構造の巌格さは、西側で最も優れた建物と競う。恐らく、ミケランジェロとパラディオだけが、それに対峙できる。それが、この(シナンの建築言語の理想を成す) 自明の正統性の特質である ;それは、彼を一層素晴らしい形態の厳格さに導いた。彼が量隗と空間(時折、装飾を犠牲にして)に与えた優先権は、彼の作品に明快な簡潔さを与えた。それらは、幾何学の美の論理に対する聖歌、空間的調和(そこでは、石材から旋律が生まれる)となった。割合と大きさは、内在する完全に統制された必然性をもつ、時代を超えた天啓と一体化している。


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