アブド・アッラフマーン2世/ Abd al‐Rahman U 822-852
後ウマイヤ朝の第4代アミール。在位822‐852年。賢帝の誉れ高く、学者や文人を保護した。彼の治世は安定しており、東方のアッバース朝風のペルシャ的な文化や制度が取り入れられた。国庫も安定し、歳入100万ディナールに達していたといわれ、バグダード、メディナ、コンスタンティノーブルなどから高価な品々や稀こう書、奴隷、香料、絹織物、シベリアの毛皮などが価を問わず、ユダヤ商人から買い入れられた。これらユダヤ商人の活動範囲は、地中海、インド洋を経て中国におよび、陸上では内陸アジアに及んでいたため、極東の商品ももたらされたであろうと推測されている。
*王子45人、王女42。

治世に影響を及ぼした者たち
・ナスル(宦官長)
・ヤフヤー(神学者)
・ジルヤーブ(音楽家)
本名アブール・ハサン・アリー。789年メソポタミア生まれ857年没。賢帝の誉れ高いアッバース朝第5代カリフ、ハールーン・アッラシードに仕えるが師のイスハークの妬みを買いアンダルシアに逃亡。アブド・アッ・ラフマーン二世に仕える。ウード(琵琶の一種)の名手であり、東方イスラームの音楽を伝えるとともに西方世界独自のものを作り上げ、東方の料理法やテーブルマナー(コース料理、ガラス杯、なめし革のテーブルクロス等)、東方流の美容院(化粧、白髪抜き、歯みがき、ヘアスタイル)、ファッションなど高い生活レベルの様式を指導し伝えた。この時からコルドバの生活風俗が変わったといわれる。
・タルーブ(妃)
アブド・アッ・ラフマーン2世の寵愛を受けた妃。元奴隷。宦官ナスルと謀略しアミールの暗殺を謀る。アミールの死後、自分の子アブドッラーを王位につけようとして失敗する。

建築
832-848年にコルドバのメスキータ(モスク)の増築。
コルドバの大規模護岸工事。
コルドバ上水道工事。
ハエンのモスク建設。


参考文献:河出書房新社イスラム世界

2006/01/28
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