アブド・アッラフマーン3世/Abd al‐Rahman III b889‐912-961
後ウマイヤ朝第8代アミール。在位912‐961年。即位後しばらくの間、国内諸勢力の統合に努め、その後は北方のレオン国王などキリスト教徒諸侯の南進を阻止し、929年にはカリフと称してファーティマ朝に対抗しマグリブ西部の大半を後ウマイヤ朝の支配下に置いた。国内産業の振興に努める一方、ベルベル人やスラブ系の軍人奴隷サカーリバを軍隊の主力とし、王朝の最盛期を現出した。

アブド・アッラフマーン3世治世の国庫歳入/歳出(
イスラムの蔭に/河出書房)
歳入 歳出
租税 540万ディナール 軍事費 400万ディナール
市場税 76.5万ディナール 宮廷維持・官僚人件費等 400万ディナール
人頭税 76.5万ディナール 新都市建設関連費 400万ディナール
戦利品など 507万ディナール
総計 1200万ディナール 総計 1200万ディナール
コルドバ1ディナール=金4.25グラム/1グラム=2500円
現在の価値に換算すると/1200万ディナール=5100万グラム=1275億円
メディナ・アッ・ザフラー建設費(単純計算)/
4,000,000×4.25×0.25万円=425億円/年
425億円×35年=1兆4875億円

建築
921年頃?に、アルアサル構内にダール・ウル・ラウダ(牧場の宮)という新宮殿を建設する。バグダードやコンスタンチノーブルから多くの建築家や工匠が招かれた。
951年に、コルドバのメスキータ(モスク)の中庭を北に拡張し、新たに高さ34mのミナレットを建設する。
936年からコルドバから6qの地にメディナ・アッ・ザフラーを建設する。皇太子アル・ハカムが総監督となり、カリフの死後さらに15年を費やし、完成には約35年を要した。

05/10/11
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