アムル・モスク/Amr Mosque  642/698/711/750/791/827
エジプトのカイロの近くのフスタートにあるエジプトで初めて建設されたモスク。642年に最初に建設を始めた、エジプト総督アムル・ブン・アルアース(Amr ibn al-As)の名前をとって、アムル・モスクと呼ばれる。最初の建物は、698年に取り壊され再建築され、711年に再再建築され、750年に拡張され、791年に再び拡張され、そして、827年に最大の規模に達し、最終形を決めたのはアッバース朝治下のエジプト総督アブドッラー・ブン・ターヒル(Abdullah Ibn Tahir)であった(1797年オスマントルコの時代に最期の改築)。この波乱に富んだ熟成期間は、ヘジラの最初の2世紀の間にモスクの古典的な原型を確立しようと試みた建築家の健闘だけでなく、多くの礼拝者を収容するに十分な大きさのある会衆のホールで礼拝することを望んでいたムスリムの数の急激な増大を表している。
キブラに垂直なポルチコは、、再利用された古代ローマとビザンティン時代のコラムと柱頭を持つ柱と切石で造られたアーチで形成されている。これらの要素は十文字に、縦方向に高い方形の構造を形成するために設けられた木製タイロッドによって、迫元のレベルで交わらされた。空中で交差したこのシステムは、効果的なブレースとなり、構造全体にある種の緊張間を与えている。ほぼ、110×120m区域を占め、コルドバとカイラワーンのモスクの初期の形式と関係が認められるアムルのモスクは、そう言うことから多柱様式の礼拝堂の典型的な例であった。それは約20本0の身廊で構成された。ハランの長方形の空間は中庭が重視され、中心には清めの泉があった。

ルイス・メイヤーの版画、1802年。荒廃した建物の様子を描写している。

多柱様式のホールは中庭に面する軽快なアーケードに沿っていた。古代の再利用されたコラムが、キブラに垂直なポーチを支えている。 礼拝堂の軽快な構造。迫元に連結した木製のタイロッド゙を持つ。典型的な初期イスラムの礼拝堂。アーケードはローマ・ビザンティンのモニュメントから持ち込まれたコラムに支えられている。
参考文献:/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen
参考図版:/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen

関連サイト
http://www.touregypt.net/AmrIbnMosque.htm

http://archnet.org/library/dictionary/entry.tcl?entry_id=DIA0018→クレス・ウェル博士による再現図が掲載されている。
http://interoz.com/egypt/AmrIbnMosque.htm

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