バルクワラ宮殿/Balkuwara  850-860
850-860年のアッバース朝第10代カリフ、ムタワッキルによってサーマッラーのチグリス川の南堤に建設された宮殿。長さ800mの中央の軸があり、対称をなす構造は、壁で囲われ160本の半円形の塔によって特徴付けられていた。中央軸は、イーワーンのある門を入口に配したペルシャのチャハル・バーグ様式の4組の庭園を二組ほど過ぎて、幅460m長さ100mの壁によって囲まれる建物の主要部に達している。ここには伝統的な中庭をもつ居住区域があり、カリフの従者たちが生活していた。
宮殿が建つ中央には、ポルチコで縁取られた大きな中庭kら、儀式用のホールへ、さらに十字形の建物へと続いている。その十字形の中心には、ササン朝の様式の4つのイーワーンが控え壁とんなったドームがあった。このアウラ・レギアを越えた所にも、川を見晴らすチャハル・バーグ様式の、4組の庭園があった。
この壮大な複合体には、狩りの様子や水浴びしている半裸の若い女性たちを描写している(具象的なイメージの禁止令は祈りの場では尊重されたけれども、宮殿ではそうではなかった為)ハーレムのホールを飾り付けている多彩色の絵と漆喰細工で覆われた壁のある、貴重な木製のパネルが立ち並べられたホールがあった。そのホールとその園で潅漑システムが瑞々しさを感じさせる水を循環させた。樋口と泡立っている噴水、真珠層あるいは白い大理石の鏡で覆われた姿を映している水鏡、すべてがこの「千一夜」のこの宮殿で絶妙な繊細さを創造した。
年代記編者が、この注目に値する一連の機械仕掛けの装置について言及している。917年にアッバース朝第18代カリフ、ムクタディル(在位908-932年)を表敬訪問した東ローマ帝国(ビザンチン)の大使のバグダードの訪問行事にそれは公開された。ドミニカ・ソルデルは次の記述を引用する:「[カリフの命で]木は独特の動きで大地から上昇し、キューポラを満たし、薔薇水とジャコウ水がとうとうと流れだし、その枝で鳥の姿をした物が歌を歌った。」
これらの壁で囲われた都市のかたちで建てられたイスラームの宮殿を理解するために、我々はこの建築における庭の役割を認識しなくてはならない、そしてそれは同様に都市計画の形式でもある。この砂漠の国(メソポタミアは、それが人工的に潅漑されなかったなら、永久に乾燥していた)で、すべての庭は植物を激しい砂の風から守るために壁で囲われた。人工の公園(水路によって4つの部分に分けられていた)の方式は、ペルシャのチャハル・バーグと一致する。この囲まれた庭はペルシャ語で「パラダイス」と呼ばれ、エデンの園とその4つの川のあるパラダイスを表現した千年至福説信奉者の宇宙観的信念に基づいている。また、それらの王室の庭園で支配者は生きているものの独特の王国を描写したこのイメージを再現しようとした:エキゾチックなオイルを作り出す花と木のある植物世界。 ;飼鳥園の鳥、次ぎに池の中の魚、そして広大な保護区に野生あるいは飼い慣らされた動物のいる動物世界。全体的な計画はアケメネス朝とヘレニズムの伝統に従っており、現在の植物、動物園のルーツであった。
さらに、4区から成るシステムはすべての建築形式に及んだ。それは宮殿計画がこの長方形のパターンに従った理由である、そしてそれは同じようにすべての都市計画を支配した。このオーダーに従わなかった唯一の要素は王室のモスクであった、そしてそれはカーバに向かうように方角が決められた宗教的規範に従うために、他の建物への関係で中心から外れて置かれた。

サマラのブルカワラ宮殿のプラン。周囲に約2.4kmの壁を持つその都市は、チャハル・バーグ様式で整備された二つの長方形の庭園と巨大な中庭を貫く主要な対称な軸(右から左に)に沿って入都させられた


参考文献:/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen
参考図版:/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen


関連サイト
http://www.dur.ac.uk/derek.kennet/balkuwara.htm
http://archnet.org/library/sites/one-site.tcl?site_id=7596


05/10/23修正
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