バドル・アル・ガマーリーのカイロの市壁/City Wall in Cairo 1087-1091/2
1087-1091/2?年に宰相バドル・アル・ガマーリーによってカイロに建設された城壁。
ファーティマ朝第8代カリフ、アル・ムスタンシル(1026-1094年)の治世、動乱と無政府状態がエジプトで広がった。アル・ムスタンシルは、1074年に、荒廃状態のエジプトに秩序を復活させる様、バドル・アルガマリに命じた。アルメニア人である彼は、ダマスカスの総裁であり、アッカーの洗礼者ヨハネ寺院の責任者であった。彼は、要塞の専門家である建築家と技術者を雇用し、彼らに首都の周りにジャウハルの泥れんがの壁に取って代わる新しい石壁を築く仕事を託した。アルメニアとビザンチン様式の伝統の中で仕事をしてきたこれらの建築職人たちは外壁とカーテンウォールを建設した。都市壁の構造は、職人の集団の出身地のエデッサのそれに類似した精度の高い技術で接合された大きな石のブロックで作られていた。
この構造物は、後にアイユーブ朝の時期に使われた建築技術の例である。それはダマスカスとアレッポの素晴らしい要塞を予見させた。

上:バーブ・アン・ナスルの門。
下:鋸壁形の砦が真っ直ぐなカーテンウォールに割入んでいる。

カイロの石の壁は教皇ウルバヌス2世(Urban)の第一次十字軍の為の軍備召喚(1095年)の4年前に完成させられた。20年ほど前のセルジュークの侵入はすでに近東全体を戦慄させていた。ファアーティマ朝の首都は半円形の塔(バーブ・アル・フトゥーフ(右)とバーブ・アル・ズワイラ(左))を持つローマ様式の門で防御されていた。後者には、1415年マムルーク・アルムタードによって建てられたミナレットが載っている。
参考文献:/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen
参考図版:/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen

05/10/19
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