アレッポの要塞/Citadel of Aleppo 12世紀末-1209/1292/16世紀
12世紀末-1209年にアイユーブ朝のザーヒル・アルガジ(サラディンの息子)によって建設された要塞。1258年にモンゴル人によって破壊され、1292年に再建され、次に、チムールによってもう1度破壊され、オスマントルコによって16世紀に復活させられた。城壁と防御施設は、アイユーブ朝の時代のままの姿で残っている。 
アレッポの街から50mの高さで聳え立つ、このアクロポリスは東西に300m、南北に170mの平らな楕円形をしている。その周囲の壁には42の正方形の塔があった。アクセスは、その(要塞の前の)斜堤の頂点にある要塞の南の側面の上にある。堅固な要塞は塔状の正方形で、囲い地の真ん中に立っていた。広い周囲の堀を渡り、険しい(要塞の前の)斜堤を登るために、建築家は7つの高く狭いアーチによって支持された斜橋を考案した。この橋は橋頭堡の役を務めた入口の物見やぐらと要塞の中心の巨大な塔をつないだ。その要塞の壁の上に置かれた突廊(マシコレーション)によって、傾けられた直線の通路が俯瞰された。


アレッポの要塞の平面図と断面図:
1.橋楼 2.傾斜した橋梁 3.マシコレーションのある基幹要塞 4.突き出した砲郭

参考文献:/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen
参考図版:/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen



05/10/22修正
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