Ghassanids/ガッサーン朝  300頃-636
南アラブの大部族アズド族の支族ガッサーン族4世紀(3世紀とも言われる)にシリアに移住してキリスト教徒となり、5世紀にジャービヤを首都とし、死海からダマスクスにわたる地域に建設した王朝。単性論キリスト教を信教とし、その首都はボスラ(Bosra)であった。

6世紀の初め以降,ビザンティン帝国の属国的立場にあり、援助(年金)を受けつつ遊牧民の侵攻に対して国境防衛の任に当たった。その最盛期はハーリス・ブン・ジャバラ(ギリシア名アレタス在位529‐569)のときで、彼はユスティニアヌス2世の2度のペルシア遠征に従軍、554年にラフム朝の軍とキンナスリーン付近で戦って勝ち、パトリキウスとフィラルクの称号を授けられた。彼は単性論(Monophysite)者ヤコブ・バラダイオスを保護し、シリアにおけるヤコブ派教会の確立に貢献した。613‐614年にササン朝の攻撃を受けてガッサーン朝は急速に衰え、最後の王ジャバラ・ブン・アイハムは636年のヤルムークの戦でビザンティン側に立って敗れ、コンスタンティノープルに逃れ、ガッサーン朝は滅びた。



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