Ghazna/ガズナ朝 977‐1186

アフガニスタンに興ったトルコ系イスラム王朝。977‐1186年。

サーマーン朝のトルコ人マムルーク(奴隷軍人)、アルプティギーンが逃亡してアフガニスタンのガズナの実質的な支配者となり、以後マムルークたちが次々に権力を握った王朝。サブクティギーン以降は世襲となり、インドへの侵入を開始した。その子マフムードは遠くソムナートまで遠征してヒンドゥー教寺院を破壊し、イスラムの擁護者としての名声を得るとともに、多数の略奪品を得た。彼の時代が最盛期で、その版図はイラン中央部からホラズム、パンジャーブにまで達した。軍隊の中核はトルコ人などのマムルークによって占められ、官僚にはイラン人が用いられた。公用語は主としてペルシア語で、多数のペルシア詩人が宮廷に出入りしたが、インド遠征に同行して記録を残したビールーニーのようにアラビア語で著作を行う学者もあった。第5代のマスウード(在位1030‐41)時代にはセルジューク朝によってホラズム、ホラーサーンを失い、12世紀にはセルジュークのサンジャルに服属して貢納を行うようになった。同世紀の中ごろにはゴール朝にガズナを奪われ、最後はラホールで滅亡した。


2006/05/15
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