Mirdasid/ミルダース朝 1023-79
ミルダース家は、北部シリア砂漠地帯で最も有力な、Banu Kilab族の有名な家系であった。仲間の部族民とファーティマ朝の同盟国に支持された、ミルダース家は、ハムダーン朝の後継者(将軍ルールーと彼の指揮下のトルコ人の軍隊)に打ち勝った(彼らは、ビザンティン帝国からあまり意味のない支持を得ていた)。彼ら自らが築きあげたミルダース家の国は、アレッポとその後背地を越えて広がっていた。ミルダース朝の政権の命運は、ファーティマ朝とビザンティン帝国の国家間の情勢における関心と、局所的な部族と都市の派閥とのバランスをとるという、その巧みな外交術にかかっていた。アレッポの人々にとって、ミルダース朝の時代は概ね繁栄の時代であった。ミルダース朝は、セルジューク朝(半世紀を超える期間にリシアで保たれた、脆い外交的均衡を崩壊させた)の台頭の後、アレッポから追われた。

アレッポの政権
Salih ibn Mirdas..................................1023-1029
Shibl ud-Dawlah Nasr..............................1029-1037
エジプトのファーティマ朝下の政権................................1037-1042
ファティマ朝のアミール (統治者)Anush Tegin..................................1037-1042
Mu'izz ud-Dawlah Tamal............................1042-1057 d. 1062
エジプトのファーティマ朝の政権................................1057-1060
Rashid ud-Dawlah Mahmud...........................1060-1061 d. 1075
Mu'izz ud-Dawlah Tamal (再).................1061-1062
Abu Du'aba 'Atiya......................................1062
Rashid ud-Dawlah Mahmud (再)................1062-1075
セルジューク朝下の政権....................................1075-1079
Djalal ud-Dawlah Nasr........................1075-1076
Abu'l-Fada'il Sabiq..........................1076-1079

参考サイト/http://www.bartleby.com/67/317.html /http://www.hostkingdom.net/Syria.html#Aleppo
*日本の一般的な文献にミルダース朝は殆ど紹介されていないので、情報収集が難しい! 

2006/05/22
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