カスル・アル・ハイル・ウエスト/Qasr Al-Hayr West(Al-Gharbi)
ウマイヤ朝の砂漠地帯の宮殿。第10代カリフ・ヒシャームの治世、727年に建立。

ウマイヤ朝は、カリフとアラブの貴族たちが生活した巨大な領土に多くの建物を建設した。なぜなら、カリフがダマスカスにずっと留まることがないという彼らの遊牧的習慣があったからである。彼らは好んで季節折々に趣向によって、そして必要に応じて住居を頻繁に変えた。同じことが、カリフに従った種族の指導者にも当てはまった。そして首都から離れた彼らの旅のための別荘をそれ用に改造した。この慣習は多くの建物を説明する。その痕跡は、疎らに住居のある今日のシリアとメソポタミアの半乾燥の荒れ地で考古学者によって発掘されている。その好例の一つがカスル・アル・ハイル・ウエスト(パルミラの近くにある)である。

銘によってカリフ・ヒシャーム1世の治世の時代に遡ることが分かっている、(典型的な中央の中庭と半円形の搭で補強された外壁を持つ)この有名なウマイヤ朝の宮殿は、ダマスクスからパルミラへの街道途上にそれには、プリ‐イスラムの方形の修道院形式の搭が付けられ、そして、また隣接してキャラバンサライ或いは兵舎があった。この宮殿は、イスラム建築の彫刻漆喰細工(古代ササン朝の技術)による広範囲なファサードの装飾の、最初の例を提供してくれる。この装飾の古代ギリシア文化的特質は、しかしながら、シリアの工房で製作示している。メインエントランスの外部ファサードには、美しく彫刻された漆喰が一面に散りばめられていた。彫刻立像( いくつかは、おそらく、カリフを描写していたであろう )と人物像の壁画がその宮殿内で発見された。元のファサードと保護された装飾はダマスクスの国立博物館に移された為、現在、元の場所には、なにも残っていない。

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カスル・アル・ハイル・ウエストの復元された全体プラン。 メインエントランスのファサード。 bの写真の搭の装飾部分のディテール。
参考文献:
/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen
/ARCHITECTURE OF ISLAMIC WORLD ;GEORGE MICHELL 編 ;Thames and Hudson
参考図版:
/a.b. ;ARCHITECTURE OF ISLAMIC WORLD ;GEORGE MICHELL 編 ;Thames and Hudson
/c. ;Four Caliphates : The Formation and Development of the Islamic Tradition (History of Architecture , Vol 6) ;Christopher Tadgell ;ellipsis

05/10/13修正
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