ウクハイディールの宮殿/Ukhaydir 778年
円都の南におよそ120kmにある城砦宮殿。778年に、アッバース朝第5代カリフ、ハールーン・アッラシードによって追放されたイーサ・ブン・ムーサー(アッバース朝第2代カリフ、アル・マンスールの甥)によって建設されたと考えられている。アッバース朝時代の唯一の砂漠の宮殿。施設は、635×531mの防御壁の中に配置されて、宮殿それ自身(112×82m)は、さらに175x169mの内側の壁の中に建設された。チグリス川を利用して潅漑された大農園の中心部にあったと考えられている。この厳密な長方形の対称な構成はシリアとパレスチナのウマイヤ朝時代の宮殿をモデルとしてものであるが、基本的な点において、ローマ式のデクマヌスは踏襲してはいなかった。
ウクハイディールの宮殿の平面計画。内側の2番目の壁は宮殿それ自身を囲っている。宮殿の東側の別館はイサ・イブン・ムサの子供の内の1人のための増築と考えられている。 外壁の量塊は、44本の半円の塔とマシコレーションを隠蔽したアーチによって分節されている。その防御施設は石積造の複合宮殿を囲んでいる。 外側の壁の内側では、アーケード゙が小窓とマシコレーションに繋がるパラペットウォークを支えている。 内壁の内部。ウクハイディルの宮殿は、中庭に開いている一連の部屋を区分する贅沢なオープンスペースを持っている。
ヴォールトが架けられた儀礼の中庭の南面ファサード。イーワーンピシタクが採用された。この形式は後の時代で踏襲された。 巨大なエントランスホールには力強い尖頭アーチのヴォールトがある。このシステムは200年以上後の初期西欧のロマネスク芸術を予感させる。 宮殿のエントランスの右側には小さなモスクがあり、その中庭は、ヴォールトの架かったアーケードを支える円筒状のコラムに囲まれている。 回廊のアーケードは漆喰細工の抽象的なモティーフによって装飾された筒状のヴォールト天井によって覆われている。


05/10/15修正
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