Zirids (Spain)/グラナダ王国のズィーリー朝 (ジーリーorジールと表記されることもある)   (1012-1090)
本家のズィーリー朝は、イフリキヤとマグリブで972年から1152年まで栄えた独立王朝。ベルベル系サンハージャ族。始祖のズィーリーの名をとってその王朝はズィーリー朝と呼ばれる。ズィーリー朝の本拠地(975-1148)は、イフリキア(チュニジア)であったが、第2代当主アルマンスール・ブン・ブルッギン(在位983-995)が、弟ハンマード・ブン・ブルッギン・ブン・ズィーリーを、中央マグリブ(アルジェリア)の統治者に任命し、彼がそこで独立したことから、この分派はハンマード朝(1014/5-1152)と呼ばれる。

アンダルス南部の分派の王朝は、(1012-1090)は、10世紀末に、チュニジアのズィーリー朝本家の一派がスペインに傭兵として渡ったことに起因する。その指導者ザーウィー・イブン・ズィーリーは、1010年のコルドバ市民とベルベル族の紛争を契機に、グラナダ地域にある肥沃なエルビーラを拠点とし、都市国家を創建した(1012年)。1016年、イドリース朝の子孫アリー・イブン・ハンムード(ハンムード家)を支持しコルドバを占領しカリフ即位を助けた。創始者ザーウィーは、1019年、本家のチュニジアのズィーリー朝と和解し故郷に戻るが、その勢力は甥のハップースに引き継がれた。

ハップースはアルハンブラの丘の向かい側のアルバイシンの丘の中腹にアル・カサバ(砦)を建て、その廻りを城壁で囲んだ(アル・カサバ地区)。この時からグラナダが政治の中心地となる(それ以前はエルビーラ)。

ハップースの後は長子バーディース(アル・ムザッファル/ラカブ)が継ぐ(在位1038-73)。

バーディースを継いだその子アブドゥラー(アル・ムザッファル/ラカブ/在位1073-90)の治世にアルフォンソ6世の侵略があり、3万ディナールを貢納する。アブドゥラーはアルフォンソ6世の侵略を排除する為に、ムラービト朝
のユースフ・イブン・ターシュフィーンに救援を求めるが、結果的に1090年ユースフに退位を迫られ、モロッコの首都マラケシュの近くのアグマートに多額の援助を与えられ隠居することになった(彼の回想録に「ティブヤーン」がある)。


参考:中世スペイン群小王国時代(ターイファス)の諸国家及び主要都市/中世アンダルシアの主要都市(詳細)part2

参考サイト:Wikipedia
参考文献:本の友社図説世界建築史イスラム建築ジョン・D・ボーグ著山田幸正訳/平凡社イスラム事典/
参考文献:アラブとしてのスペイン


関連サイト:
http://en.wikipedia.org/wiki/Zirid
http://www.bartleby.com/67/321.html
http://www.nationsencyclopedia.com/Africa/Tunisia-HISTORY.html
http://www.legadoandalusi.com/legado/contenido/preitinerarios/it7/eng/circuitos7.htm#Granada

07/02/19追記修正
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