カンタベリー大聖堂/Canterbury Cathedral( クライストチャーチ/Christchurch)
イギリスのカンタベリーにある大聖堂。正式名称クライストチャーチ Christchurch。アングリカン・チャーチの大本山。

上空から見たカンタベリー大聖堂
出典
:http://www.hillside.co.uk/articles/canterbury.html

イギリス最初のゴシック様式大聖堂と知られるが、教会自体の起源は6世紀末にさかのぼり、現在の大聖堂の起源は1070年(ノルマン様式で建設された)。ゴシック様式で建設されたとされるのは、1174年の火災の後に建設された部分で、それ以前はノルマン様式であった。1175年以降の改築は、それまでのノルマン様式の建築物の改修と増築というかたちで修復された。当時の建設は、フランスの工匠ギヨーム・ド・サンス Guillaume de Sens(サンスのギヨーム)と後継のイギリスの工匠ウィリアが当たり1184年完成した。その後14世紀-15世紀に大規模な改築が、行なわれ現在の姿になった。下図参照

カンタベリー大聖堂建設の経緯
1070−77年に建設されたノルマン様式の大聖堂。
それ以前のサクソン様式の大聖堂は、1067年の火災で崩壊した。
1096−1130年にノルマン様式で増築された大聖堂。
黄色の部分が増築部分。
1175−1185年にゴシック様式で改修・増築されたと謂われる部分。
1174年に内陣部が火災で消失したことを契機に増築。

黄色の部分が増築部分。
→イギリスの工匠ウィリアム作
オレンジ色の部分が改修部分。
→フランスの工匠ギヨーム作
1377−1480年にゴシック様式で改修された部分。
中央の交差部の塔は1430年代に崩壊。
イェーベル Henry Yevele により1410年に完成した身廊はファン(扇状)・ボールトで覆われている。
西正面は双塔と身廊妻壁全面のランセット窓(鋭尖窓)で飾られ、塔や飛梁上に林立する小尖塔群とともに垂直様式 perpendicular style を示すこととなった。

黄色の部分が解体・改築された部分。

オレンジ色の部分が改修部分。
現在の姿。
中央の塔(ベル・ハリー Bell Harry)は1490-1510年に再建された。
西正面の北側の塔は1830年代になって改築された。

黄色の部分が増築部分。

緑色の部分は、ノルマン様式が残る部分。

結局のところ、我々が知るいかにも垂直式イギリスゴシックらしい繊細な装飾と構造(写真A)は、14−15世紀のもので、初めてイギリスにゴシック様式を持ち込んだと謂われるフランスのギョームのものではない。では、ギョームの改修部分がどういう形状としているかといえば、下の写真(写真B)のとおりである。、、、、これはゴシック様式なのだろうか?

A:我々がよく目にする外観。
出展
:http://www.cottages-to-rent.co.uk/
B:ギョームの改修部分
出展
:http://rubens.anu.edu.au/
 

これがゴシック様式の外観であるかどうかは置いておいて、少なくとも、これが1175年頃のフランスの最先端のデザインを留めていることには間違いはないだろう?、、、この時代にゴシック様式という言葉はフランスには、なかったのだから、、、、。それに、よくよく見ると下の方になにやら、ポインテッドアーチの様なものがみえるではないか!

C:Bのギョームの改修部分の拡大写真
出展
:http://rubens.anu.edu.au/ 
コルドバのモスクのアル・ハカム2世の門
出展:http://rubens.anu.edu.au/ 


近寄って見ると、ここにはあのコルドバのモスクのアル・ハカム2世の門で見たのと同じ連続交差アーチがある。これは、、、、ノルマン様式ではないか。結局フランスの工匠ギョームは、以前のノルマン様式を残したのだろうか?(因みに、コルドバのモスクのアル・ハカム2世の門の建設はギョームの改築の200年前)
このような、現在ゴシック建築と謂われているイギリスの建築には、ノルマン様式が混在している。そしてこれが古い時代の名残かといえば、そうではなく、1175年以後に建築されたゴシック建築といわれる建築物のなかにも混在しているのであり、それがイギリスに特有の現象であるかといえば、そうでもなくフランスの大聖堂にもその例が見られる。
我々は、いかにもゴシック様式という建築が、ある日いきなり完全な形で登場した様に勘違いするが、我々が知るゴシック建築は、多様なロマネスク建築のある一形態が、ある一方向のデザインに結果的に収斂していったその結果としての形態といえるかもしれない。

それにしても、ノルマン・コンクエストにより、イギリスに持ち込まれたノルマン様式が1066年から、およそ1世紀の間にイギリスの教会や大聖堂でいきなりその様式の主流となったのは不思議としか言いようが無い。ノルマン・コンクエスト以前にはその様式はイギリスにはなかったのだから、それはフランス人、ウィリアム1世によって、フランスから持ち込まれたものと考えるのが自然だ。前述の様に最初にゴシック様式をイギリスに持ち込んだのが、フランス人であれば、最初にノルマン様式をイギリスに持ち込んだのもフランス人であった訳で、そうだとすれば、どちらもフランスの様式であった訳である。

それとも、最初のノルマン様式はスペイン人が持ち込んだとでも、、、、?


参考:ロマネスク時代の建築現場
参考文献:平凡社世界大百科辞典
参考サイト:
http://www.drttours.co.uk/Sections/Pages/Cathedral.html


07/03/04作成
 
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