プリニウスとコモ湖とトスカナにある彼のヴィラ


プリニウスはまた、コモ湖にある彼が所有する別の二つのヴィラについても語った (書簡。Book IX , 7 ) :

『前者は、幅広のテラスによるラインに沿って、それは一つの入り江の周りに緩やかにカーズを描く様に建てられているので、広い湖の景色により開けている(後者は閉じ気味である) ;一方で、もう一つのものは、二つの入り江に分かれた高い隆起部の上に立っており、そこでは、真っ直ぐな通りが岸の上に少し延びている。人は水に触れることなく、その高さから下の釣り人を見下ろすことができ、そのヴィラに波が打ちつけている間、寝室の窓から釣り糸をキャスティングしてラインを投げ、そして実際に、ベッドからボートの中にいるかのように釣りをすることができる。』

彼は、更にもう一つのヴィラを、トスカナに所有していた (Book V 6) :

『私の所有物は、海からの少しの距離にあり、実際、正に、山のうちで最も健全であると考えられる、アペニン山脈の裾野にある。その地方は、非常に美しい。

自然の仕業だけでできたような、広大な円形の盆地を、思い描いてごらんなさい ;大延展平原は、山々(それらの頂上は高い樹木で成る古代の森によって覆われている)で丸く取り囲まれている。そしてそこでは、多種多様な狩が思う存分できる。

それらの下にある、全ての斜面に広がり下りるぶどう園は、一定のパターンを至る所に、編み込んでいる(それらの下限は植林地で縁どられている)。それから、牧草地、そして、とうもろこし畑が来る。

私の家は、その下の、しかし、もっと高地にあるかの様に素晴らしい景色を見下ろす、丘の斜面にある。それは、主に南に面し、従って、夏期 の正午以降から (冬期には少し早く )、日差しを柱廊に招くように思われる。
これは、広く、それに釣り合う長さがあり、旧い形式のエントランスホールのようにそれから広がるいくつかの部がある。柱廊の前には、異なった形に刈り込まれたツゲの生垣で形どられたテラスがある。そしてそこから勾配が下っており、そこにも両側に向き合ったツゲが刈り込まれた動物の像がある。下のレベルには、人がそれが水の様に見えると言うほど柔らかい、アカンサスの花壇がある。柱廊の端から、食堂が突き出している :その折り畳み式のドアを経て、それは、テラスの端に通じる、隣接する牧草地、そして向こうの広々とした土地の広がり、さらに、その窓から、、、、、、、反対側にある、隣接する乗馬場の囲いの中の梢が見える』。

プリニウスはそれから、居住区域について述べた。プリニウスは、平らな木の枝で囲まれた部屋(その窓枠は大理石で造られている)を語った。

『内部には{木の枝に止まらせられた鳥たちのフレスコ画}がある。ここでは、色彩の鮮やかな庭園のイメージが、(同時に美しいざわめの音色を作り出している)小さな噴流で囲まれる深皿のある小さな噴水のある部屋を飾っている。ボールで小さな泉を持つ部屋を飾っている。』

プリニウスの描写は、それらは、野性味はないがランドスケープと自然に対して敏感であった為、如何にトラヤヌスとハドリアヌスの時代のローマ人が、それらの環境に注意深かったかの証となっている。プリニウスは、田舎を愛しが、彼は、最も洗練された技術革新に頼った都市の住人であった。これらの記述は、帝国の宮殿の贅沢さについてのわずかな知識を与えているにすぎない。

プリニウスは、景色を楽しむ為に、彼のヴィラにガラスがはめ込まれた窓を使った。セントラルヒーティングは、床下暖房の蒸気からもたらされた。彼は、そこから海を見ることのできたプールで泳いだ(凝らした技術力の高さ)。ニンファエウムの中には、たくさんの噴水とさざめく加圧型の噴出口があった。地下のクリプトポルティコエス(cryptoporticoes)は、夏の最中に冷所を提供した。その家の後ろの、ヒッポドロム(競技場)の砂のトラックで彼は馬の背に乗ることができた。舞踏会場は、プレイヤーが利用でき、そして屋内運動施設は、精力的な運動を奨励した。手短かに言えば、全てが、例外的な生活水準の為に用意された。そしてプリニウスが、オスティアの郊外からコモ湖に、所有したのカントリーハウス(田舎にある本邸/訳注)には現代の娯楽施設の全てが備わっていた。

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