ハンムード家の台頭
アリー・イブン・ハンムード、スライマーンを殺害しカリフ位につく
ベルベル族王朝
1013年実質的な後ウマイヤ朝の終結
アブド・アル・ラフマンーン3世の息子と孫については、ヒッティーのアラブの歴史を参照した。またアミールの順番については、ヒシャーム2世以降、政情が混乱しカリフが乱立した為、正式なものではなく、便宜的に即位の順に記入している。この時代の参考文献「アラブとしてのスペイン:余部福三」。

A. アル・ラフマーン
Abd al-Rahman
ムハンマド
Muhammad
アル・ハカム
al-Hakam
ヒシャーム/Hisham
1006年ヒシャーム2世に謀叛を企てたかどで拘束され
牢獄で死亡
ウバイドッラー
Ubayd Allah
アブド・アル・マリク
Abd al-malik
スライマーン
Sulayman
A・アル・ジャバール
Abd al-Jabbar
ヒシャーム3世
最後のアミール
1027-31
第24代アミール
コルドバ市民擁立
A ・アッラフマーン4世
(アル・ムルタダー)
1018
第17代アミール
スライマーン
(アル・ムスタイーン)
1009-1010/1013-16
第12/15代アミール
A ・アッラフマーン5世
(アル・ムスタズヒル)
1023-24
第21代アミール
コルドバ市民擁立
ムハンマド2世
(アル・マフディー)
1009/1010
第11/13代アミール
ヒシャーム2世
b985-976-1009/1010-13
第10/14代アミール
ハカム2世
961-976
第9代アミール

ムハンマド3世
(アル・ムスタクフィー)
1024-25
第22代アミール
コルドバ市民擁立
後ウマイヤ朝滅亡
1035年、アッバード家偽ヒシャーム2世をカリフとして擁立

アブドッラー
−d990
シャンジュール
(アブド・アッ・ラフマーン)
(アル・マームーン)

−d1009
アブドゥルマリク
(アル・ムザッファル)

b975-d1008
アーミル家の台頭
アル・マンスール
(ムハンマド・イブン・アビ・アーミル)
-d1002
ファティマ朝の始祖

アミール
1101-30
第10代カリフ
ムスターリー
1094-1101
第9代カリフ

ファーイズ
1154-60
第13代カリフ
ザーフィル
1149-54
第12代カリフ
アーディド
1160-71
第14代カリフ

ユースフ
ハーフィズ
1130-49
第11代カリフ

ムハンマド
ムスタンシル
1036-94
第8代カリフ
ザーヒル
1021-36
第7代カリフ
ハーキム
996-1021
第6代カリフ
アジーズ
975-996
第5代カリフ
ムイッズ
953-975
第4代カリフ
マンスール
946-953
第3代カリフ
カーイム
934-946
第2代カリフ
マフディ(ウバイド・アッラーフ)
909-934
初代カリフ
ファーティマ朝 909-1171
イスマーイール派
*ハンムードはイドリースの血統であると謂われるが詳細な関係は不明
*勁草書房イスラーム全史p85に記述されている。
805年アルカンタラの戦い
コルドバのラバト(郊外)の市民の大蜂起→ハカム1世は市民を追放した→イドリース朝下のモロッコのフェスに逃れる
→北アフリカへアンダルシア技術・文化の伝播
アブドゥラー
801年ハカム1世との王位争いに破れ、バレンシアで藩国を建設
スライマーン
トレドの代官
(ヒシャームの兄)
788年トレドで蜂起

ブワイフ朝 932-1062
セルジューク朝 1038-1194
セルジューク朝の系譜
1258年、バグダードはチンギス・ハーンの孫フレグの率いるモンゴル軍に蹂躙。政権崩壊。
セルジューク朝内乱に乗して政教両権を兼備したカリフ体制を復活させようとした。
1055年セルジューク朝トゥグリル・ベク、バクダード入城。アッバース朝よりスルタンの称号を史上初めて受ける。
946年、ブワイフ朝アフマド゙によりバクダード占領。以後、アッバース朝は傀儡となる。
ハニーファ族の女性
アッバース家にイマーム位委譲
アブー・ハーシム
ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤ  -700
685年ムフタールの乱
イドリース朝への系譜は平凡社世界百科事典による
アッバース朝により滅ぶ

イーサー
スライマーン

イドリース一世
786年メディナの挙兵に参加

モロッコに逃れ
イドリース朝
建国
*マフディはイスマーイールの血統であると謂われるが詳細な関係は不明
アリー・アルムーイッル
フサイン
アフマド
イブラーヒーム(弟)
?-762
762年バスラで挙兵
ムハンマド(兄)
アン・ナフスッ・ザキーヤ
(純粋魂)?-762
762年メディナで挙兵
アブド・アッラーフ?
:平凡社世界百科事典
(アブドゥラー・アッカーミル?:イスラム世界)
ラムラ
ムハンマドの妻

イドリース朝、ファーティマ朝により滅ぶ

ハンムード

ムハンマド
 平凡社イスラム事典/講談社イスラム世界の発展/河出書房新社イスラム世界/講談社学術文庫アラブの歴史/平凡社世界百科事典/勁草書房イスラーム全史を参考としましたが、誤記があればご連絡ください。
アブドッラー
アリー
ムハンマド
イマーム(教主)を宣言 
04/02/23 改定版
/051002/051006/051009/051017/060129/060202/060213/060216
/060305/060326/060819/061207/070212修正追記
アーミナ
(ムハンマドの母)

 横並びは連関性を判別する為に、できるだけ同時代人を配置したが、正確には合ってはいない。
 基本的にカリフ或いはアミールの系譜を主軸としたので、兄弟の名前・数は示していない。 
 アラブは父系社会である。連綿と続く血統による系図はアラブ文化を理解する手助けとなるので一面で連続した系図を作成してみた。
 人名に付した年号は原則として在位年を示している。また赤い矢印は血統。青い矢印は系統、緑の矢印は婚姻関係を示している。
後ウマイヤ朝 756-1031

ウマイヤ朝 661-750
ヤフヤー?
1021-22/1025-27
コルドバ・ウマイヤ朝
第19/23代アミール
カースィム?
・アル・マームーン
1018-21/1022-23
コルドバ・ウマイヤ朝
第18/20代アミール
アリー・イブン・ハンムード
(アーミル家の家臣)

1016-18
コルドバ・ウマイヤ朝
第16代アミール
スペイン政権(マラガ)
ハンムード家の台頭
(イドリース朝の末裔)


ムハンマド
アッファーン
アブド・アルマリク685-705
U朝第5代カリフ
ウスマーン
在位644-656
第3代正統カリフ
アブド・アルアジーズ
ハカム
アブー・アルアース
マルワーン1世
(マルワーン家)
683-685
U朝第4代カリフ
ムハンマド
570?-632
イスラームの始祖
ルカイヤ
(ムハンマドの娘)

第3代正統カリフの妻
アブド・アッラーフ
(ムハンマドの父)
アラブ文化を知るためのクライシュ族の系図
アッバース家の始祖
アッバース
(ムハンマドの叔父)
ムハンマド
12イマーム派
ムハンマド・アルムンタザル -878/S派第12代I
ハサン・アルアスカリー -874/S派第11代I
アリー・アルハーディー-868/S派第10代I
ムハンマド・アルジャワード -835/S派第9代I
アリー・アッリダー
-818/S派第8代I
ヤフヤ2世
863-866
第6代エミール
ハサン
922-926
第10代エミール
ヤフヤ4世
905-922
第9代エミール



ヤフヤ1世
849-863
第5代エミール

ムハンマド
カーシム
イドリース2世
793-828
第2代エミール
ヤフヤ3世?
-905
第8代エミール
イドリース
ウマル
アリー2世
866-?
第7代エミール
イドリース(1世)
在位789-793
786年メディナの挙兵に参加
ムハンマド
828-836
第3代エミール
アリー1世
836-849
第4代エミール
シーア派初代イマーム




イスマーイール派の始祖
イスマイール
イブラーヒーム?
二代目イマーム
U朝カリフ、マルワーンにより殺害
アブードッラー
ムーサー・アルカージム
-799/S派第7代I
ジャーファル・アッサーディク
-765/S派第6代I
法学研究で尊敬を集める
ムハンマド・アルバーキル
-731/S派第5代
フサイン(次男)-680
S派第3代イマーム
(U家ヤジード1世により殺害、カルバラーの惨劇)
アリー・ザイン・アルアービディーン
-712/S派第4代イマーム
ザイド派
ザイド・イブン・アリー
740年クーファで挙兵
イドリース朝 789-926
アリー
在位656-661
第4代正統カリフ
アブー・ターリブ
(ムハンマドの保護者)
ファーティマ
アリーの妻
ムハンマドの娘
ハサン
ハサン(長男)
 -669
S派第2代イマーム
(ウマイヤ家のムーアウィアにカリフ位を譲る
妻:ハディージャ
(クライシュ族の血統)
アブド・アッラフマーン1世
756-788
コルドバのウマイヤ朝の始祖
ムンジル
886-888
第6代アミール
ムハンマド1世
852-886
第5代アミール
アブド・アッラフマーン2世
822-852
第4代アミール
ハカム1世
796-822
第3代アミール
ヒシャーム1世
788-796
第2代アミール
アブド・アッラー888-912
第7代アミール
アブド・アッラフマーン3世
912-961
第8代アミール初代カリフ
ムーアウィア
ワリード2世
743-744
U朝第11代カリフ
イブラーヒーム
744
U朝第13代カリフ
ヤジード3世
744
U朝第12代カリフ

ヒシャーム(1世)
724-743
U朝第10代カリフ
マルワーン2世
744-750
U朝第14代カリフ
U朝最後のカリフ
ヤジード2世
720-724
U朝第9代カリフ
スライマーン
715-717
U朝第7代カリフ
ウマル2世
717-720
U朝第8代カリフ
ワリード1世
705-715
U朝第6代カリフ
アブド・アルムッタリブ
(ムハンマドの保護者)
ハーシム家の始祖
ハーシム
ムーアウィア2世
683
U朝第3代カリフ
ヤジード1世
680-683
U朝第2代カリフ
ムマンマドの孫をフサインを殺害
ムーアウィヤ1世
661-680
U朝初代カリフ
アブー・スフヤーン
(スフヤーン家)
ハルブ

アブド・シャムス
ウマイヤ家の始祖
ウマイヤ
アーイシャ
ハディージャ死後のムハンマドの最愛の妻
ハフサ
ムハンマドの妻
アブドマナーフ
クサイイ(家)
アブー・バクル
在位623-634
初代正統カリフ
ウマル1世
在位634-644
第2代正統カリフ
タイム(家)


ムッラ(家)
カーブ
アディ(家)
クライシュ族の祖
クライシュ




?


ムータミド
870-892
第15代A朝カリフ
ムティー
946-974
第23代A朝カリフ
ムータッズ
866-869
第13代A朝カリフ
ムタッキー
940-944
第21代A朝カリフ
カーヒル
932-934
第19代A朝カリフ
ムンタシル
861-862
第11代A朝カリフ
ラーディー
934-940
第20代A朝カリフ
ムクタディル
908-932
第18代A朝カリフ
ムータディド
892-902
第16代A朝カリフ
ムスタクフィー
944-946
第22代A朝カリフ
ムクタフィー
902-908
第17代A朝カリフ
ムフタディー
869-870
第14代A朝カリフ
ムスタイーン
862-866
第12代A朝カリフ




?
ムタワッキル
847-861
第10代A朝カリフ
ムータシム
833-842
第8代A朝カリフ
ワーシク
842-847
第9代A朝カリフ
マームーン
813-833
第7代A朝カリフ
マフディ
778-785
第3代A朝カリフ
マンスール?
754-775
第2代A朝カリフ
ハルーン・アッラシード786-809
第5代A朝カリフ
アミーン
809-813
第6代A朝カリフ
ハーディー
785-786
第4代A朝カリフ
アブー・アルアッバース?(アル・サッファーフ)
750-754
初代A朝カリフ


?
ターイ
974-991
第24代A朝カリフ
ムスタズヒル
1094-1118
第28代A朝カリフ
ムクタディー
1075-94
第27代A朝カリフ
カーイム
1031-75
第26代A朝カリフ
カーディル
991-1031
第25代A朝カリフ
ザーヒル
1225-26
第35代A朝カリフ
ナーシル
1180-1225
第34代A朝カリフ
ムスタディー
1170-80
第33代A朝カリフ
ムスタンジド
1160-70
第32代A朝カリフ
ムクタフィー
1136-60
第31代A朝カリフ
ラシード
1136-36
第30代A朝カリフ
ムスタシド
1118-35
第29代A朝カリフ
ムスターシム
1242-58
第37代A朝カリフ
ムスタンシル
1226-42
第36代A朝カリフ

アッバース朝 750-1258

ムハンマド
・アル・マフディ
1046-48
アル・カーシム
・アル・ワシク
1048-54
ハサン
・アル・ムスタンシル
1039-43
イドリース?
・ムータイッド
1036-39


イドリース?
・アル・アリ
1043-46/54-55
ヤフヤー?
1039
ムハンマッド?
・アル・ムータシム
1048
ムハンマッド?
・アル・ムスターリ
1055-57

参考サイト:http://www.mimas.ac.uk/~zzalsaw2/genealogies/cordoba.html
イドリース?
・アル・ムワッファク
1054
バレンシア(タイファ国)
アブドゥルアズィーズ
在位1021-1060
バレンシア(タイファ国)
アブドゥルマリク
在位1060-66

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