メロビング朝の系図 Home
06/12/10作成//23/02/05修正
A(アウストラシア王)
/旧ランス分国を主体とするゲルマン勢力の強い東分国領土
(王都メッツ)
B(ブルグント王)
/セナトール(元老院)貴族などのローマ勢力が濃厚に残存する旧オルレアン分国を核とする(王都シャロン・シュル・ソーヌ)
N(ネウストリア王)
/両勢力がほぼ伯仲する旧ソアソンを中心とする西分国領土(王都パリ)
Pharamond
クロディオ
428-448
メロビス
448-455
ヒルデリヒ
458-482
クロービス
485-511
クロデマール
511-524
(オルレアン王)
カリベルト
561-567
(パリ王)
テウデベルト
534-548
(ランス王)
グントラム
561-593
(オルレアン王)B
クロタール1世
511-561(ソアソン王)
558-561(統一王)
ヒルデベルト1世
511-558
(パリ王)
テウデリヒ?
511-534
(ランス王)
テウデバルト
548-555
(ランス王)
ジギベルト1世
561-575
(ランス王)A
カリベルト2世
628-632
(アキタニア王)
ダゴベルト1世
623-638 A
629-638(統一王)
ジギベルト?
613
AB
ジギベルト3世
636-656
A
グンドバルド
(アキタニア王)
ヒルベルヒ1世
561-584
(ソアソン王)
ヒルベルヒ ?
575-595 A
593-595 B
クロタール2世
584-629 N
613-629(統一王)
テウデリヒ ?
595-613 B
612-613 A
テウデベルト?
595-612 A
クロービス2世
638-657
NB
ダゴベルト2世
656A
クロタール3世
657-673 NB
662(統一王)
ヒルデリヒ2世
662-675 A
673-675(統一王)
エウデリヒ3世
673-691 NB
675-691(統一王)
ヒルヘリヒ2世
715-721
(実権なきフランク王)
ヒルヘリヒ3世
743-751
(実権なきフランク王)
クロービス4世
691-695
(実権なきフランク王)
ヒルデベルト3世
695-711
(実権なきフランク王)
クロタール4世
718-720 A
ダゴベルト3世
711-715
(実権なきフランク王)
テウデリヒ 4世
721-737
(実権なきフランク王)
Brunhild
西ゴート王
アタナギルドの娘
Golswintha
西ゴート王
アタナギルドの娘
Ingund
Hermennegild
西ゴート王
レオビギルドの息子
ローマ同盟者としての軍命令権を用いて、自家権力を強化し同族の諸小王とソアソンのシアグリウスのローマ人国家を滅ぼし(486)、カトリック改宗により、アクイタニア(アキテーヌ)への勢力伸張を決定づけ戦略拠点パリを王都とし、ライン川からガロンヌ川までを支配した。
クロービスの4人の子は、領土をライン、ロアール両河間のフランキアとアクイタニアとに分け、それらを平等分割相続し。フランキアにはランス、オルレアン、ソアソンおよびパリを、それぞれ王都とする分国が成立し、アクイタニアはオルレアン以外の諸分国が飛領として所有した。
ランスの歴代の王は、チューリンゲン、バイエルンおよびイタリア遠征を行い(531,539)、さらにビザンティン遠征を計画するなど、ガリアの枠を超えた帝国政策を展開した。
ピピン3世(短躯王)のクーデタにより、メロビング朝はヒルデリヒ3世を最後に崩壊,
680年頃、東分国では(宮宰)
ピピン2世が自立的な大公権を築いた
ピピン1世の子グリモアルド、東方政策の失敗による東分国の危機に乗じてダゴベルト2世を追放
メロビング朝最盛期
ネウストリア・ブルグント分国では、クロタール3世(在位657‐673)の母后バルチルデの摂政政権の下、下級身分出身の宮宰エブロインが権力を掌握する。
王権による中央集権的なローマ的政治理念の終焉