東ゴード王国の系図
06/12/23作成
?
Theodimir
- d.474
テオドリック大王
474-526
Audofleda
クロービス
(フランク王)
の妹
Thiudigotho
アラリック2世
(西ゴート王)
と婚姻
Ostrogotho
ジギスムント
(ブルグント王)
と婚姻
アマラスンタ
−d.535
アタラリックの摂政
Amalafrida
トラサムント
(バンダル王)
?
テオダハド
534-536
Amalaberga
m. Hermanafrid K.Thuringia
アタラリック
526-534
ウィティギス
536-540 (dep.)
ゴートの将軍
Matasuntha
ゲルマヌス
−d.550
ローマ皇帝ユスティヌス一世の甥
その後の王
ヒルデバト
540 (murd.)
Eraric 540-541 (murd.)
トティラ
541-552 (kb.), nep. of Hildibad
テヤ 552-553 (kb.)
旧ローマ領土奪回の図る東ローマ帝国(ビザンティン)の皇帝ユスティニアヌス1世の片腕となった名将ベリサリオスの遠征により、540年に解体した。
十数年間にわたって相次いで抵抗戦を組織しが、552年抵抗は終息し553年東ローマ軍完全占領。
バルカン半島や小アジアなどの自領域内での東ゴート族の略奪・侵入行動に悩んだ東ローマ皇帝ゼノンは、テオドリック大王の率いるこの部族に、オドアケル支配下のイタリアへの遠征を勧め、テオドリック大王の軍隊は489年から5年の歳月をかけて、493年にイタリアの平定に成功し、首都ラベンナを中心とする東ゴート王国が成立した。