参考*西ゴート王国 /西ゴート王国の系譜
参考文献:西ゴード王国の遺産:鈴木康久著/イスラーム治下のヨーロッパ:Ch-E.デュフルク/レコンキスタ/D.W.ローマックス著/林 邦夫 訳/刀水書房/世界の歴史:中世ヨーロッパ:教養文庫:堀越孝一、三浦一郎/
参考サイト:http://en.wikipedia.org/wiki/Visigoth#Kings_of_the_Visigoths
 http://www.mimas.ac.uk/~zzalsaw2/genealogies/index.html
西ゴード王国の系図

アラリコ1世
(アラリック)
395-410
アタウルフォ
(アタウルフ)
410-415

ガラ・プラキディア
父:ローマ皇帝
テオドシウス I

テオドレオド
(テオドリック1世)
419-451

トゥリスムンド
451-453
テオドリコ2世
453-466
Frideric, d.463
エウリコ
(エウリック)
466-484

アラリコ2世
(アラリック)

484-507
ヘサレイコ
508-511
テオドリック大王
511-526
(東ゴート王)

474-526
Thiudigotho

アマラリコ
(アマラリック)
526-531
民族の大部分をイベリア半島のカスティリャに移動させる。後、血統は途絶え、東ゴート王が統治する。
バルト王朝
アタナヒルド
(アタナギルド)
554-567

Goiswinth
レオビヒルド
(レオウィギルド)
572-586
リウバ1世
567-572

スペイン王朝

Hermenegild

レカルド1世
(レカーレド)

586-601
リウバ2世
601-603
Brunhild
フランク王
ジギベルトと結婚

Golswintha
フランク王
ヒルベリヒと結婚

Ingund
バンバ
672-680
エルビヒオ680-687

エヒカ
687-702

Cixilo
ビティサ
702-710
アヒラ
711-714
東部
チンダスビント
b563-642-653
レセスビント
(レケスウィント)
co649-653-672
ロドリゴ
710-711
エヒロナ

アルダバスト

西部
オルムンド

中部
オパス
セビーリャ/
トレド大司教

←720年アストゥリアス遠征に参加
ヴィティサの息子アヒラ、アルダバスト、オルムンドは、北アフリカを進撃中の新興イスラム軍と同盟し、北アフリカから招き寄せた。イスラム軍のスペイン征服後、彼らにはは、西ゴート王国全土に広がる約3000の王領地の荘園があてがわれ、スペインで最も裕福な土地所有者となった。
トレドに移転。スペイン王朝の始まり。
イスラム軍との戦いに敗れ戦死
588年にスエビ王国を征服
アリウス派からカトリックに改宗
672年以降国王の選出制度の破綻。チンダスビントとバンバの家系が激しく王位を争う。
トゥールーズを拠点とする西ゴート王国の最盛期
トゥールーズを都としたローマ領内でのゲルマン人最初の国家を建設
ローマを二度略奪
ナルボンヌ、トゥールズ、ボルドーの3都市を占領、アクイタニア(アキテーヌ)地方に定着
西ゴート王国内のローマ人のための法典であるアラリック王抄典編纂
クロービス(メロビング朝)の率いるフランク軍に敗れ戦死
06/12/9作成// 07/11/10追記
テウディスTEUDIS
531-548
テオディセロTEUDISELO
548-549
アヒラ(アギラ)AGILA
549-554
ビザンティン軍上陸の脅威を感じ、宮廷をメリダに移す。
*541年ユスティニアヌス帝、現地人であるイスパノ・ローマ人たちに迎え入れられアンダルシアとグラナダを占領。この戦いでアヒラは敗北セビーリャ近くで戦死。
ビテリコVITERICO
603-610
グンデマロGUNDEMARO
610-612
シセブトSISEBUTO
612-621
レカレド2世RECAREDO621
スィンティラSUINTILA
612-631

シセナンドSISENANDO
631-636
バスク地方の分離勢力を平定
チンティラCHINTILA
636-640
トゥルガTULGA
640-642
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