好漢よく好漢を知る/クライシュの鷹
あるとき、バグダードの宮廷で、カリフ、アル・マンスールが侍臣たちに問いかけた。
クライシュ族の鷹と呼ばれるに相応しい人物は誰であろうか?」
侍臣たちは、カリフを慮って、まさしくカリフ自身のことを言っているのだと思い、
「アミール・ル・ムウミニーン(信徒の統率者)よ、多くの強敵を従え、度々の反乱を鎮め、四海を安定なさいましたあなたこそ、それでございましょう!」
と答えると、
「いや、わしではない。」
と言われる。
侍臣は問う。
「ではウマイヤ家のムーアウィアアブドル・マリクでございましょうか?」
そうすると、マンスールは、
「クライシュの鷹と呼ぶべきは、あのアブド・アッラフマーンのことであろう。ただ一人アジアとアフリカを巡り、軍兵もなしに海の彼方の未知の国におし渡るという大胆さ。己が機略と堅忍によるほかには頼るものがないのに、よく傲岸な敵をひるませ、叛徒を殺し、キリスト教徒の襲撃を退けて国境を安らかにしたのだ。大帝国を建設し、群雄割拠の国土を統一した。これこそ彼以前にいまだ誰もなし遂げ得なかったところではないか!」
と答えたという。


MEMO
クライシュ族
クライシュを祖とするアラブの一族。ムハンマドもその妻ハディージャも、最初の正当4大カリフも、ウマイヤ家もアッバース家も皆その一族。連綿とそのカリフの血統は1258年アッバース朝の滅亡までムハンマドの死後約600年続くことになる。
*参考:クライシュ族の系図

アル・マンスール

賢帝として誉れ高く、恐れられていた、アッバース朝第2代目のカリフ、在位754-775年。スペインのウマイヤ朝のアブド・アッラフマーンのライバル。スペインにも幾度か軍隊を送り、制圧しようとした(全て失敗に終わっている)。恐らく750年のウマイヤ家の惨殺事件にも関わっていたのだろう。ケチでも有名 (^_^; 。

ムーアウィア
アッバース家に滅ぼされたウマイヤ朝を開いたウマイヤ朝初代カリフ。在位661-680年。首都をダマスクスに置き、カリフを世襲制とし、以後カリフは世襲制となった(それまでは合議制)。ウマイヤ家の英雄。

アブドル・マリク
ウマイヤ朝第5代目のカリフ、在位685-705年。ハッジャージ・イブン・ユースフなど名臣に恵まれ、領土に拡張、反乱軍を制圧していった。ウマイヤ朝ではムーアウィアに次ぐ英雄。691年に有名な岩のドーム(Qubba al-Sakhra)を建設した。彼の子のうち4人までがカリフに就任し、彼の後この王朝が滅びるまでのカリフのうち9人のカリフのうち7人までがその直径の子孫で「諸帝の父」と呼ばれた。ケチでも有名 (^0^*。

アブド・アッラフマーン(一世)
750年のアッバース家によるウマイヤ家大虐殺クーデターの時、一族でただ一人生き長らえた。その後僅かな従者と合流、北アフリカを横断し(母はベルベル人であったと謂われる)支援者を集め、スペインに渡り当時のスペインの総督を破り、アンダルスを制圧。756年アミールの地位に就く。在位756-788年。その帝国は後約300年続くことになる(この話の時点ではそれは知るよしもないが)。コルドバのモスク(メスキータ)を建設する。



2006/11/05編集
inserted by FC2 system