ちょっと似すぎ!?part1
どこの国の建築だか分かりますか? ヒント:現在は全てキリスト教の施設です。
上の内の二つは、建築史上、ゴシック建築のルーツと言われるノルマン様式の建築物。 バーミンガム大学の中世史教授デーヴィス教授著The Normans And Their Myth(邦版:ノルマン人その文明的考察・柴田忠作訳)によると1066年ウイリアム1世のイングランド侵攻以来、イギリスの建築様式は劇的に進化したとされている。当時イギリスは建築的にはイタリアやフランスに対して後進地であったにも関わらず、ゴシック建築様式の特徴である、交差ヴォールト、リブ、ポインテッドアーチなどがいち早く実現されていったと言うものだ。デーヴィス教授によると、その背景として、当時イングランドを征服したノルマンディー(フランス)のノルマン人が経済的に非常に恵まれていたということ、当時までイングランドは大陸とは文化的に隔離状態にあったということ、そして彼らが征服者としての威信を示すために過去の様式と決別した建築様式を確立する必要があったいうことらしい。 でもちょと待って欲しい。金と志があっても、モノを創造するということはそんなに簡単ではない。人と才能がなければコトは成就しない。概してこういった極度に完成度の高い建築がいきなり登場するのは地場の建築家或いは工匠の技によるものではない。ウマイヤ朝のエルサレムの岩のドーム(687-692年)や、カロリング朝様式の建築の中でも別格に完成度の高いアーヘンの宮廷礼拝堂(792-805年)を、思い返してほしい。それらの建築はその王朝の建築家だけがデザインしたわけではない。双方とも東ローマ帝国(ビザンティン)のマイスターが招集された国家的プロジェクトであったことが知られている。果たしてイギリスだけが例外だろうか?
|
|
出典 左:ISLAM VOL.1 /Benedikt Taschen 右:THE EARLY MIDDLE AGE /Benedikt Taschen
|
エルサレム岩のドーム |
アーヘンの宮廷礼拝堂 |
|
そこで再度、上の四枚の写真を見て欲しい。 実は上の写真の内、AとCは建設された当時はキリスト教徒の施設ではない。両方ともスペインのイスラム様式のモスクである。ノルマン様式の特徴の一つであるといわれている交差連続アーチが採用されている。が、年代順に並べるとC(10世紀中)⇒A(10世紀末)⇒D(11世紀末)⇒B(12世紀中)の順なのである。引用か?単なる偶然か?一目見れば一目瞭然。 なのに日本の西洋建築史の教科書には殆ど登場することがないこれらの建築たち?!。
問題の答え A:トレド(スペイン)。後ウマイヤ朝の小モスク。999/1000年。 B:ノーフォルクNorfolk(イギリス)。小修道院(Cluniac priory at Castle Acre)。12世紀中(1146-1148年献納)。 C:コルドバ(スペイン)。後ウマイヤ朝のモスク(メスキータ)の西の門。961/62年。 D:エセックスEssex(イギリス)。小修道院(St Botolph's Priory at Colchester)。11世紀末(1100年以前)。
出典 AC:Islam/Benedikt Taschen BD:Architecture in Britain and Ireland, 600-1500/The Harvill Press
関連サイト Castle Acre Priory Castle-Acre-Castle-Priory.html St Botolph's Priory Scottish Church Heritage Research - Samples
01/05/16 →05/05/27 05/11/14修正
|