ノルマン様式の原点の謎 5  Dalmeny -http://www.undiscoveredscotland.co.uk/queensferry/dalmenychurch/index.html
ダルメニーの教区教会のファサード

一体どういうことだろう?問題はこのファサードがコルドバのモスクの、カリフ用の入口にあまりにもそっくりであるところにある。仮に、このファサードが構成がこうでなく構成部品がバラバラであれば、こんなに悩むこともないのだろうけど、、、構成が同じであるということは、
A:神話やSFの様に夢の中に信託として現れるか。
B:そのオリジナルを見たことがあるか。
C:その構成と形状を伝え聞いたことがあるか。
D:写本のような書物にそれが記されていてそれを見たか。
でなくてあり得ない。単なる偶然でこの形状と構成が思いついたとすれば、千里眼的超能力を持った恐るべき工匠ということになる。それはそれで別の凄さがあるが、、、。


961/2年に建設されたコルドバのモスクのファサード

例えば、この形状がスペインから南スランスに伝播して、次第に北上し、さらに英国の工匠がそれにインスパイアされたものであれば、トレドの小モスクの様なファサードになっているかもしれない。これ(下写真)であれば、そういった可能性はある。実際ノルマン様式の特長として、連行交差アーチは代表的なモチーフとなっている。

999/1000年に建設されたトレドの小モスクBib Mardunのファサード

そして、時間をかけた伝播であれば、時間と共にオリジナルの場所も形態の意味も薄れ、そのデザインだけが使用されるということはありがちではある。だが、このダルメニーの教区教会は、逆にあからさまなコピーに、こちらの方が躊躇していまう。これが建っている場所がイタリア南部であれば、少なくともスペイン北部であれば、この教区教会はモクスが改造された教会であると断言しても良いだろう。実際そういう例は多い。特異な例を探すまでもなく世界遺産である現在のコルドバのモスク自体が、皇帝カルロス5世により、ゴシック様式の教会堂に改造されているのだから。上の元モスクであるBib Mardunも、アルフォンソ6世のトレド征服以降に、礼拝堂San Cristo de la Luzに改造されている。

では、なぜダルメニーの教区教会は元モスクであると言い切れないのかというと、そうであれば、スコットランドのこの地にムスリムが居住していたことを証明しなければならないからである。この時代11世紀から12世紀にかけて、スペインでも、南フランスでも、南イタリアとシシリーでも、当たり前のことが、ここイギリスでは言うことが憚られる。知るかぎり、そんなことを言っているメジャーな歴史学者はいないし、建築史的にも、そんなことが書かれている書物はないからである。ノルマン様式でさえ、ムーア建築の影響を受けていると明記された書物はない(これは疑問符付きで、指摘されているが)。

もし、そうであれば、少しばかり建築史を学習した者であれば、だれでも気付くこの事実を、指摘する学者がいても良さそうなものであるが、、、、或いは宗教的な理由で気付いていても無視されているのか?、、、僕の仮説が事実となれば、中世建築の歴史を書き換えるという大それたことなってしまう。この教区教会はそういった意味でも「歴史がつくった作為的な悪い冗談」としか思えないOOPARTSオーパーツ「out-of-place artifacts」なのだ。


2012/06/03
inserted by FC2 system