4-5世紀のゲルマン民族の移動と定住地域 |
中世建築史理解に不可欠な、ややこしいゲルマン民族の動きを年表風に纏めてみました。横のラインは大体年代が合っています。
ランゴバルド族 | 東ゴート族 | 西ゴート族 | スエヴィ族 | ヴァンダル族 | ブルグンド族 | フランク族 | ジュート・アングル・サクソン族 | |
4世紀 | 400-500年頃。 ドナウ川流域(パンノニア)に第一王国を建設。 568年。アルボインに統率され、イタリアに侵入。ランゴバルド第2王国を建設する。 572年。パヴィア占領。ランドバルド王国の首都となる。 584-590年。 アウタリ王の治世。 590-615年。 アギルルフ王の治世。 636-652年。 ロタリ王の治世。 650年頃征服終了が、諸公領と東ローマ領はその後も存続。 661-671年。 グリムヴァルト1世の治世。 712-744年。 リウトプラント王の治世。 749-756年。 アイストゥルフ王の治世。 751年。ラヴェンナ占領。中部イタリアに於ける東ローマ支配の終末。 773-774年。 フランク王国カール大帝によるランゴバルド王国の征服。 消滅 |
2世紀に東西ゴート族に分かれる。 375年フン族の侵入によりエルマネリヒ治下の黒海沿岸の東ゴード族(200-375)の滅亡。 移動。 パンノニアに定住。 東ローマ帝国の人質として宮廷に育ったアラマー家のテオドリックの登場。 ・バルカン半島を劫掠。 ・476年東ゴード族の王となる。 ・488年イタリアのパトリキウスに任命される。 ・イタリア進出。 ・オドアケルを破る。 イタリアの王朝 (493-553年) ・493年、東ゴード王国の建国。 首都ラヴェンナ。 493-526年。 テオドリック大王の治世。 ・ゴード人とローマ人を分離。 ・文官行政と経済はローマ人の手に委ねる。・・宗教的対立(アリウス派とカトリック)。 526年。テオドリック大王の死。 535-553年。 東ローマ皇帝ユスティニヌスのゴード侵略。 536-540年。ヴィティギス王の治世。 ・ベリサリウスにラヴェンナ包囲され捕虜。 542-552年。トティラ王王の治世。 ・ヴォロナから進んでイタリアを奪回(ラヴェンナを除く)。544-549年ベリサリウスに抵抗。 553年。東ローマ軍の占領。 消滅 |
2世紀に東西ゴート族に分かれる。 376年皇帝ウァレンスに帝国領内移住を認められる。 378年アドリアノーブルの戦いでローマ軍を破る。 382年テオドシウス帝の下、モエシア・トラキアに入植(382-388年)。 西ゴード王アラリックの登場。 ・395年バルカン、ペロポネソス半島を劫掠。 401-403年イタリア攻撃。スティリコに撃退される。 408年ローマ攻囲。巨額の賠償金を得て撤退。 410年ローマ市の占領と劫掠。 アラリック、アフリカに渡航しようとする直前に南イタリアのコゼンツァに没。 410-415年。 アラリックの義弟で後継者のアタウルフ、ホノリウス帝の異母妹プラキディアを捕虜とし結婚。後、ホノリウス帝に殺害される。 トゥールズの王朝 (419-507年) アタウルフの弟ワリア、419年、トロサ王国を建国(首都トロサ=現トゥールズ)。国王はローマ皇帝の総督として防衛を負担。 446-484年。 エウリック王の治世。 西ゴード王国の最盛期。 ・スペインに支配権を樹立。 ・ゲルマン人最古の法典エウリック法典がラテン語で著される。 484-507年。 アラリック2世の治世。 フランク王クロヴィスとの戦争。 アラリック507年ヴイエで没。 スペイン王朝 (507-711年) 551年。東ローマ軍が招致されスペイン南部を占領。 568-586年。 レオヴィギルド王の治世。 ・トレドを首都とする。 ・東ローマ勢力を撃退。 ・575年、スエヴィ王国を征服。 586-601年。 レカルド王の治世。 ・カトリックに改宗。 ・トレド王国公会議の開催(教会の影響大)。 ・633年選挙王政の導入。 629-672年 レッケスヴィント王の治世。 ・ゴート人とローマ人に共通の法典レクス・ウィシゴートルムを作成。654年頃。 711年。ロデリック王率いるゴード軍アラブ軍に敗れる。 消滅 |
409年頃スペイン西部に移住。 ・575年、西ゴード王国に征服される。 消滅 |
406年。ライン川国境を越える。ガリアに移住。 409年。スペインに到達。劫掠。 429年。ガイゼリック王(428-477)の下アフリカに渡り王国を建国。 アフリカのヴァンダル王国 (429-534) 西ローマ帝国領ヒッポレギウス占領。後チュニス地域に定住。 435年。西ローマ帝国に同盟者として承認される。 439年カルタゴ奪取。 442年ローマが征服地を主権国家として認める。西ローマ帝国領域での最初のゲルマン主権国家となる。 455年。ローマの略奪。 ヴァンダル艦隊は西地中海を支配。アフリカの穀物に依存するローマを圧迫。 474年。東ローマ皇帝ゼノン、アフリカのローマ属州の征服を認める。 477年ガイゼリック王没。 貴族と国王の対立、宗教的対立(カトリックの迫害)、により弱体化。 ガイゼリック王はゲルマン的血統権に代わり、親子関係なく家族中の最年長者が継承することを定めていた。 534-535年 ベリサリウスにより滅ぼされる。 東ローマ軍の占領。 消滅 |
400年頃。ライン川、マイン川地域に移動。グンダハール(グントヘル)王の下、建国。 伝説によると首都はヴォルムス。 436年。西ローマ軍司令官アエティウスが招いたフンの援軍に滅ばされる。 443年。ソーヌ川、ローヌ川沿いに定住し、王国を築く。 480-534年。 グンバート王の治世。 王国の最盛期。 516年。ブルグンド法の法典化。 523年。フランク族の侵略始まる。 534年。フランク族ブルグンドを征服。 消滅 |
フランク族は国境を徐々に南西方向に拡大させていった。 クロヴィス(482-511年)全部族の政治的統一を達成。 486年。ローマの将軍シヤグリウスの王国を破る。 497年。クロヴィス、ランスで司教レミギウスにより洗礼を受ける。 507年。ヴイエの戦い。ブルグンド王国の支援を受け、西ゴード王国領をピレネーまで侵略。東ゴード国王テオドリックの介入で地中海までは到達せず。 511年。クロヴィスの死後。王国は諸子間で分割される。 531年サクソン人の支援を受けテューリンゲン王国征服。 532-534年。ブルグンド王国を侵略。征服完了。 535-537年。東ゴード王国からアレマン残部とプロヴァンスを獲得。 539年。テウデベルト、東ゴード王国と東ローマ帝国に戦勝。 バイエルンを従属させる。 558-561年。 クロタール1世の治世。 クロタール1世はフランク王国を統合。その死後闘争の結果、三部分王国の成立。アウストラシア(首都ランス)・ネウストリア(首都パリ)・ブルグンド(首都オルレアン)。 613-629年。ネウストリアのクロタール2世による全王国統合。 629-639年。ダゴベルト1世による全王国統合。 王国の分裂。メロヴィング朝国家体制の崩壊。宮宰の台頭。 679-714年。アウストラシアのピピン2世(中ピピン)全王国の宮宰となり王国を統一。 714-741年。 カール・マルテル。ピピン2世の庶子。宮宰を勝ち取る。 732年。トゥール・ポアティエの戦い。宮宰カール・マルテルはアラブ軍を撃退。 741年。カール・マルテル、死の直前にサン・ドニ修道院で育った息子に王国を分割。カールマンに東部。ピピンに西部。残りは共通宗主権領地。 751年。メロヴィング朝の名目上の王ヒルデリヒ3世の廃位。カールマンは修道院に入って後(747年)ピピンがフランク王国の単独支配者となる。 754年。ポンティオンとキエルジーの協定。教皇領の寄進。 760-768年。アクィタニアの公国を滅ぼす。 768年。ピピン、息子のカール(カール大帝)とカールマンに帝国を分割。 772-804年。ザクセン戦争。 773-774年。カール大帝によるランゴバルド王国の征服。 782年。アラー河畔のフェルデンで裁判が開廷。 785年。ヴィドキント、カールと和平を締結。アティニーの王宮で洗礼を受ける。 800年。教皇レオ3世によるカール大帝の西ローマ皇帝戴冠。皇帝称号は「ローマ帝国の統治者」 |
450年頃。ジュート、アングル、サクソン族はローマ人が400年頃に放棄したイングランドに上陸。 ブリトン人をウェールズ、コーンウォール、スコットランド、ブルターニュに追いやり、7王国を建設。 ジュート族→ケント アングル族→ノーサンブリア、マーシア、イーストアングリア サクソン人→エセックス、サセッックス、ウェセックス 7世紀。ノーサンブリアが優勢。 8世紀。マーシアが優勢。 793年。ノルマン人のリンディスファーン修道院略奪によってヴァイキング時代が始動する。 |
5世紀 | ||||||||
6世紀 | ||||||||
7世紀 | ||||||||
8世紀 | ||||||||
ランゴバルド族 | 東ゴート族 | 西ゴート族 | スエヴィ族 | ヴァンダル族 | ブルグンド族 | フランク族 | アングル・サクソン族 |
主たる参考文献/カラー世界史百科/成瀬治監修/平凡社