クリュニー修道院とイスラム文化 part1


世俗化したクリュニー修道院が、かなり気になっている。スペインに活動範囲を延ばし、その文化を吸収していった節がある?。御布施を集める、集金マシーンとしての大聖堂は、今でいう博覧会のパビリオン的性格、悪く言えば見せ物小屋的性質をもっていたのではないか?そのなかで新奇なもの、美しいものは、その出所に関わらず吸収されていったのではないか?(最もギリシャやローマの建築様式も異教の文化の所産ではあるが、、、)。間接的にも写本の挿絵の背景に登場する神の国?の建築様式に少なからずの影響を受けたように思う?

クリュニー修道院
909‐910年にアキテーヌ公ギヨーム1世によって彼の所領ブルゴーニュのクリュニー荘園内に建設された修道院。この修道院の制度的特色をなす分院体制に基づく中央集権的組織は特に11世紀初頭における幾つかの教皇特許状によって、司教権をも排除しうる教皇直属の修道会として強化された。12世紀中期に最盛期を迎え、東は聖地から西はスコットランドまでほとんど全ヨーロッパに約1500の分院を有したが、クリュニー修道会に属さないものでもその修道慣習を採用するものが多かったから教会生活におけるその影響力は抜群であった。世俗化し、ロマネスク芸術の範例となったクリュニー修道院の壮大豪華な芸術は、清貧の美を求める他方のシトー会やカルトゥジア会の禁欲的芸術理念と対立し、激しい批判を浴びた。


01/08/21
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