フリードリヒ2世の十字軍


神聖ローマ皇帝にして、シシリー国王であるフリードリヒ2世がエルサレムに無血入城した時の様子はとても興味深い。以下の挿話はダマスカスの年代記作者、シフト・イブン・アル・ジャウジ(1229年当時42歳)が、皇帝に同行したカディー、シャムスッディーンに語らせたものである。

フランクの王である皇帝がエルサレムを訪れたとき、私はアル・カーミルの要請により、彼と行動をともにした。いっしょにハラム・アル・シャリーフに入ると、彼はまず小モスクを一巡する。次いでアル・アクサーのモスクヘ行くと、彼はその建築美をほめ、「岩のドーム」でも同様だった。彼は説教壇の美に打たれ、階段を頂上までのぼった。下りると私の手をとり、もう一度アル・アクサーの方へ連れて行く。そこでは一人の司祭が、福音書を手に、モスクヘ入ろうとしていた。激怒して、皇帝は彼にどなりつける。「だれが貴様をここに連れて来た。貴様の同類が許しもなく、再びかかることをなすならば、その目玉をえぐり出してくれるぞ!」。司祭は震えあがって退散した。

その夜、私はムアッズィーンに向かい、皇帝の気分を損なわないよう、祈りへの呼びかけをやめてほしいと頼んだ。しかし皇帝は翌朝、私があいさつに赴いたとき尋ねた。「カーディーよ、ムアッズィーンはなぜ、いつものように祈りへの呼びかけを行わなかったのか」。私は答えた。「陛下の御為を思い、わたくしがやめさせたのでございます」。皇帝は答えた。「そんなことをするには及ばなかったのだよ。私がエルサレムで一夜を過ごしたのは、とりわけ夜のムアッズィーンの呼びかけを聞きたかったからなのだ」。

「岩のドーム」を訪れたとき、フリードリヒは次のような銘文を読んだ。〈サラーフッディーンはこの聖なる都をムシュキリーンの手から清めた〉。ムシュキリーンというアラビア語は「習合主義者」、時には「多神教徒」をも意味し、唯一神の信仰に他の神々を習合させる人びとに対して用いられ、この文脈では特に、三位一体を信ずるキリスト教徒を指している。そのことに気づかぬふりをして、皇帝はにやにや笑いながら、困り切っている相手に尋ねたものだ。「このムシュキリーンとは、いったいだれのことなのでしょうか」。

何分か後、ドームの入り口にかかっている金網を見て、何のためかと彼は尋ねる。「小鳥たちが入るのを防ぐためです」という答えに対し、フリードリヒは明らかにフランクを当てこする一言を加えて、聞く者を唖然とさせる。「そして神はブタどもが入るのを許したもうたわけですか!」。

参考文献:「アラブが見た十字軍」アミ・マアルーフ著/牟田口義郎・新川雅子訳/筑摩書房

フリードリヒ2世のイスラムの宗教・文化に対する理解の深さを示している、と同時に、彼がキリスト教、イスラム教、ユダヤ教を超えた、宗教・文化の保護者としての超越した皇帝であることを自覚していた様子を伺い知ることができる。
独裁者とも言われ専制君主制の先駆けとなったとも言われるフリードリヒ2世だが、彼の姿勢には、今だからこそ学ぶべき点も多い。

01/09/15 (土)

inserted by FC2 system