ズンヌーン朝


後ウマイヤ朝崩壊後のターイファス(ムルーク・タワーイフ)の時代にスペインのトレドを首都とする王国を統治したムスリムの王朝。シャンタバリーヤ地方(トレドとバレンシアの間の地域)を本拠としたスペイン征服時からのベルベル族の家系(この頃には、ムワッラドと同じくアラビア語を話し、アンダルス人化し、自らアラブの系図をとっていた)。

系譜
アブドゥッラフマーン4世? 1013年頃:カリフスライマーン(ムスタイーン:第12・15代カリフ)に迫り、ウクレス(トレドの東110キロの都市)の代官に任命され、クエンカ(トレドの東165キロの都市)の砦を渡される。
イスマーイール
Abu Muhammad Isma'il
ibn Dhi al-Nun
スライマーンより、ワジール(大臣)職を与えられるが、コルドバ政府から独立。
1018年:トレード市民に傭兵隊長(将軍)として招き入れられる。政治はトレド有力市民の共同統治。
ヤフヤ
(
アル・マームーン)
在位1044-75
離宮アル・マンスーラを建設。専制を強め、トレド市民指導者と対立する。
1044年:サラゴサを首都とするフード朝と争い、ナバーラ王ガルシア・サンチェス?(弟)にサラゴサに侵攻させる。
→フード朝は対抗してカスティーリャのフェルナンド1世(兄)にズンヌーン朝侵攻を要請。
→フェルナンド1世に多額の貢納して侵入を阻む
1066年:バレンシアを占領/コルドバに侵攻するが敗退。
1072年:レオンから亡命してきたフェルナンド1世の息子アルフォンソ6世を保護。
1075年:コルドバに侵攻し占領する。/半年後コルドバで死亡。
アル・カーディル
在位1075-85
ヤフヤ(アル・マームーン)の孫。
1075年:ヤフヤの盟友アブー・バクルを暗殺
→市民の反発/バレンシアの独立/アッバード家コルドバ奪回
→トレド上層市民層の叛乱によりトレドから逃走
1080年:アルフォンソ6世の軍事援助を得、復権する(多額の金の支払いと領地の割譲が条件)。
→アルフォンソ6世への貢納金の支払の為にトレド市民に重税を課す
1082年-:アルフォンソ?、トレドを包囲
1085年:アル・カーディル、アルフォンソ6世と交渉し、バレンシアの奪回し、そこの支配者となることを条件にトレドを明け渡す
→トレド市民、独自でアルフォンソ?と交渉の末、無血開場→以後アルフォンソ?支配
→アルフォンソ?の軍事援助を得、バレンシアバレンシアを奪回し、有力貴族と共にバレンシアに入り支配。
(王権を支える為カスティーリャ軍を城内にとどめ、トレド時代と同様に、アルフォン6世へ莫大な貢納を強いられた)
1187年:サラゴサ王国フード朝の傭兵であった
エル・シド、バレンシアに侵攻し、アル・カーディルを支配。
1092年:バレンシア市民の革命、アル・カーディル殺害→ターイファス時代のバレンシア参照


2006/02/26
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