系譜 |
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アブドゥッラー・イブヌル・アフタス |
1009年:下辺境区の暫定政権の長であったバダホスの代官サーブールより傭兵隊長として招かれる。政治に関与。1022年サーブールの死後、その息子より政権を奪う。ラカブ(称号)はアル・マンスール。 グラナダのズィリー朝と結んで、セビーリャのアッバード朝と争う。 |
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アル・ムザッファル 在位1045-68
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アフタスの息子。好学が王で、50巻からなる、「アル・ムザッファリー」を編纂した。スライマーンより、ワジール(大臣)職を与えられるが、コルドバ政府から独立。 父の政策を継承し、セビーリャのアッバード朝と争う→1051年休戦(コルドバ共和国の調停)。 1057年:カスティーリャ王国のフェルナンド1世の侵攻→ズンヌーン朝の調停で休戦、フェルナンド1世に5000ディナールを貢納 1064年:フェルナンド1世の侵攻→コインブラ(下辺境区の北)陥落
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アル・ムタワッキル) 在位1068-94 |
アル・ムザッファルの死後二人の子が王位を争い、この抗争に乗してフェルナンド1世は侵攻し貢納金の増額を要請 →エボーラ代官であった息子アル・ムタワッキルが王位を継承。 詩人として優れ学芸の保護者となり、その治世にバダホスはアンダルシアの文化の中心地となる。 1079年:アルフォンソ6世にコリアの砦を奪われる。 1080年:トレドの市民の要請で、トレドに出陣アルフォンソ?と抗争→撤退→アルフォンソ6世への貢納金の増額→市民の負担増。 1086年:ムタワッキル、ムラービト朝に支援を要請。ムラービト朝とアンダルシア諸王国の連合軍、アルフォンソ6世に大勝利。 →市民、ムタワッキルを見かぎり、ムラービト朝を支持 →ムタワッキル、地位を維持する為にアルフォンソ6世に救援を要請 1094年:市民ムラービト朝に開城し、ムタワッキル追放され、処刑 |
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ムタワッキルの子の一人? |
1094年:モンタンチェス(メリーダの北北東40?)の砦に逃れていた息子の一人は、部下と共に、アルフォンソ?の領土に移住して、キリスト教に改宗した。 |