アフタス朝 1022-1094


後ウマイヤ朝崩壊後のターイファス(ムルーク・タワーイフ)の時代にスペインのバダホスを首都とする王国を統治したムスリムの王朝。ファフスル・バッルート地方(トレドとコルドバの間の地域)を本拠としベルベル豪族の家系(マスラマ家)。(この頃には、ムワッラドと同じくアラビア語を話し、アンダルス人化し、自らアラブの系図(トゥジーブ族)をとっていた)。

系譜
アブドゥッラー・イブヌル・アフタス 1009年:下辺境区の暫定政権の長であったバダホスの代官サーブールより傭兵隊長として招かれる。政治に関与。1022年サーブールの死後、その息子より政権を奪う。ラカブ(称号)はアル・マンスール。
グラナダのズィリー朝と結んで、セビーリャのアッバード朝と争う。
アル・ムザッファル
在位1045-68
アフタスの息子。好学が王で、50巻からなる、「アル・ムザッファリー」を編纂した。スライマーンより、ワジール(大臣)職を与えられるが、コルドバ政府から独立。
父の政策を継承し、セビーリャのアッバード朝と争う→1051年休戦(コルドバ共和国の調停)。
1057年:カスティーリャ王国のフェルナンド1世の侵攻→ズンヌーン朝の調停で休戦、フェルナンド1世に5000ディナールを貢納
1064年:フェルナンド1世の侵攻→コインブラ(下辺境区の北)陥落
アル・ムタワッキル)
在位1068-94
アル・ムザッファルの死後二人の子が王位を争い、この抗争に乗してフェルナンド1世は侵攻し貢納金の増額を要請
→エボーラ代官であった息子アル・ムタワッキルが王位を継承。
詩人として優れ学芸の保護者となり、その治世にバダホスはアンダルシアの文化の中心地となる。
1079年:アルフォンソ6世にコリアの砦を奪われる。
1080年:トレドの市民の要請で、トレドに出陣アルフォンソ?と抗争→撤退→アルフォンソ6世への貢納金の増額→市民の負担増。
1086年:ムタワッキル、
ムラービト朝に支援を要請。ムラービト朝とアンダルシア諸王国の連合軍、アルフォンソ6世に大勝利。

→市民、ムタワッキルを見かぎり、ムラービト朝を支持
→ムタワッキル、地位を維持する為にアルフォンソ6世に救援を要請
1094年:市民ムラービト朝に開城し、ムタワッキル追放され、処刑
ムタワッキルの子の一人 1094年:モンタンチェス(メリーダの北北東40?)の砦に逃れていた息子の一人は、部下と共に、アルフォンソ?の領土に移住して、キリスト教に改宗した。


2006/03/12
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