系譜 |
|
|
|
イスマーイール・イブン・アッバード |
ハカム2世の治世(在位961-976)の頃、セビーリャ領地の最大地主アッバード家が台頭する。 イスマーイール・イブン・アッバードは、ハカム2世や宰相アル・マンスールの知己を得てコルドバのイマーム(礼拝指導者)、セビーリャのカーディー(裁判官)に任命される(1023年引退)。 |
↓ |
|
アブル・カースィム・ムハンマド 在位1035-1042
|
1023年:アッバード家のイスマーイールの息子のアブル・カースィム・ムハンマドは、コルドバ市民に追われた第20代カリフ、カースィム(ハンムード家)の入城を拒否。セビーリャ富裕層市民の寡頭体制の樹立。 →有力家系、ズバイディー家、ハッジャージュ家、ハウザニー家、ヤリーム家、アラビー家などのメンバーを追放投獄し、単独指導権を確立する。 1031年:最後の直系のカリフ、ヒシャーム3世の廃位、ウマイヤ朝の終焉。 1035年:アッバード家のアブル・カースィム・ムハンマド、偽ヒシャーム二世を捏造し、カリフとして擁立する。 →周辺有力ターイファス王たちに、このカリフを認めさせる。 →偽ヒシャーム二世は、1060年までマスジトの礼拝の説教で名前があげられ、1069年までセビーリャ発行の金貨に名前が刻まれた。 1042年:アブル・カースィム没。
|
↓ |
|
アル・ムウタディド 在位1042-1069 |
1042年:アル・ムウタディド(アブル・カースィムの次子アッバード)即位。 →アッバード朝周辺諸国併合領地拡大し、統一国家再建を目指す。 1066年:フェルナンド1世のセビーリャ領への侵攻に対し、貢納の支配と聖イシドルスの聖遺体の引き渡しに同意する。 1069年:アル・ムウタディド死亡。 |
↓ |
|
ムハンマド・アル・ムウタミド 在位1069-1091 |
1069年:ムハンマド・アル・ムウタミド即位する。 文化を保護し、セビーリャはこの時代の文化の中心地になる。 1070年:アル・ムウタミド、コルドバ併合。アルフォンソ6世に高額の代賞金を払い援助を得、グラナダを攻める。 1078年:バルセローナ伯に金貨3万ディーナールで軍事援助を要請し、ムルシアを併合する。 1086年:ザッラーカの戦い、ムラービト朝の支援を受け、アルフォンソ6世に勝利する。 1088年:アレードの戦い、ムラービト朝の支援を受け、アルフォンソ6世に勝利する。 1091年:ムラービト朝、アル・ムウタミドを破り、アッバード朝滅亡 |