イスラムスペイン下のキリスト教徒からイスラム教徒への改宗者の比率

半島の容易な征服は、一般的に歴史家たちによって先住民族の急速なイスラーム化の結果起こったものと仮定されている(そのような主張に関する証拠は、推理の域を超えないのであるが)。そのイスラームへ改宗のプロセスもまた、アラブ人によって新たに征服された他の社会において働いたのと同じメカニズムによって導かれたということとして、仮定されるべきである。

イスラームへの改宗の命名パターンの研究に基づいて、 Richard Bulliet は、彼がアラブによって征服された全ての中世のイスラーム社会における典型であったと考える一般的な改宗のプロセスを示した。イノベーション・ディフュージョン(革新普及の理論)に関する一般的な考えに基づいた、Bulliet の仮説の本質は、イスラームへの改宗の比率が対数的であるということであり、それがロジスティック曲線で図式的に例証できそうであるということにある。すなわち、まず少数者たちだけが革新を導入するけれど、それ以上の者たちが同じようにすることにより、賛同する他の者たちの比率が上がるということである。

イスラームへの改宗の場合は、ムスリムの数が多ければ多いほど、ムスリムとムスリムでない者の接触の比率が上がり、従って後者の改宗の比率も上がることになる。これは、自生的プロセスであり、改宗の確立は、なんら特別な社会的或いは政治的方策、或いはそのプロセスに対する外因性のいなかるファクターも必要とせずに、増幅する。この分析から、ウマイヤ朝の時代に、イスラーム教は、少人数のアラブの精鋭による膨大な非ムスリムの住人の支配(彼らの社会的・政治的な用に対して、伝統的なアラブの部族的構造は十分に機能していた)に特徴付けられる、「些細な出来事」であったということが導き出される。

アラブ族、ひいては、イスラーム教そのものは、最初に町に集中した。そして、初期の年代記は、この都市のアラブ族の環境を映し出している。ロジスティック曲線が急激に上昇し始めるその瞬間に、以前は改宗しなかった住人たちの大部分がムスリムに改宗しはじめたのである。改宗プロセスが完了する時、Bullietは、元来の先住民族の80%が転向したと考えている(20%の未改宗者を残し、宗教的少数派を残した状態で)。

多くの特徴的な社会現象が、このプロセスと関連している ( そのような現象の出現 と手順は集団間で異なったていたのだが) 。まず第一に、改宗を誘導した社会的動向の種類と内容が異なっていた(改宗者が少数派であるか多数派であるかによって)。

(アラブの国に下で誘導された)千年期の革命的改宗は、改宗した住民の飽和状態により、そして旧来の改宗者の権力構造への参画により、魅力を失った。爆発的な改宗の変換の期間に、社会の構成が急速に変化した時、突然の政治的・社会的変化が、ほんの2、30年の間に起こった。膨大な数の原住民がムスリムになった時、出現した社会の様相は、以前のアラブのそれとは全く異なったものであった。社会は、多数派のムスリムの住民の社会的欲求を反映した制度と一体となって、ムスリム一色となった。これは、イスラーム世界の中でもその独自性を誇ってよい社会であった。そうは言うものの、社会的差異が、「旧」、「新」の改宗者の間に起こった(前者は、概して、伝統的宗教的立場を支持し、後者は アシュアリスムとスーフィスムの様な活動を支持する)。

改宗プロセスの Bulliet (ビュリエ)の記述は、確かに仮説ではあるが、中世の突発的なイスラーム社会における社会的、政治的、文化的変化の原動力を分析するための、説得力のある枠組みを与え、同時にそれにより、相対的視点に立つ、イスラーム社会ごとのそのような発展を評価する為の基準を提供している。次の節で、そして本書を通して、私は、いかに Bulliet の仮説の鋭さを示し、殆ど理解されていない、いくつものアンダルシアの歴史のエピソードと事象を明らかにすることになるだろう。


Bulliet のデータから、 アル・アンダルスに関するロジスティック曲線は、再現される(図1)*人口増加などの数学的モデルに用いる曲線。改宗率は10世紀までは遅く(全改宗者の最終総数の4分の1未満が改宗された);爆発的期間は、アブド・アッ・ラフマーン三世(912-961)の治世とほぼ同時に起こる;そのプロセスは、1100年頃までに完了される(80%の改宗率)。更に、その曲線は、人口の宗教的配分の妥当な判断を可能にする。711年に半島に700万人のヒスパニック‐ローマ人がいたということ、そして、この人口の構成部分の数は11世紀の間ずっと水平のままであった(人口増加は北へのキリスト教徒の移住を相殺するものとして) と仮定すれば、912年までに、約280万人の先住民のムスリム(ムワラドゥーン)に加えて、アラブ人とベルベル人がいたと推測できる。この時点では、キリスト教徒はムスリムより依然としてずっと多かった。しかしながら、1100年までに、固有のムスリムの数は、500−600万人という大多数に膨張したと推測できる。

*THE LIBRARY OF IBERIAN RESOURCES ONLINE ISLAMIC AND CHRISTIAN SPAIN IN THE EARLY MIDDLE AGES 第1章第4節より抜粋引用翻訳

2006/05/29
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