ノルマン様式の原点の謎?
フランス、ノルマンディー地方の中心地カンは、ノルマン公国諸公のもと、とりわけ11世紀、ウィリアム1世(征服王)の時代に発展をみた都市である。イギリスのノルマン・コンクエスト以降に建設された教会や修道院に頻発する連続交差アーチだが、ウィリアム1世の本拠地であったノルマンディー地方にはその形態は殆どみることができない。完成していたノルマン様式をイングランドで展開していたとすれば、得にカンにはその形態が多く残っているはずなのだが、、、、。この形態が残る建築物は1066年以後のもので、それ以前のものにそれを見いだすことはできない。ウィリアム1世が建設した男子修道院付属サンテティエンヌ教会にも、隠れるかのように、一見見過ごしそうなところにその装飾は使われている(13世紀の改造以前にはもっと残っていたかもしれないが、、、、)カンの建築様式は、ノルマン様式の原型として征服後のイングランドの教会建築の範例となったとされているが、果たしてそれはどうだろうか?ノルマン・コンクエスト以後にそれはイングランドで誕生したのではないか?少なくとも、連続交差アーチのモチーフはイングランドの教会建築を建設した工匠たちが持ち込んだ可能性がある。ある意味逆輸入かもしれない。問題はその工匠たちがどこからやってきたかであるが、、、、。イングランドの工匠であった可能性は殆ど考えられない(それ以前のアングロ・サクソンの建築には全く見られない)し、1066年以前のフランスの教会・修道院建築にも見られない。どこから誰が持ち込んだのか?謎は深まる。

カンのAbbaye-aux-Hommes(男子修道院付属サンテティエンヌ教会(1077) /内陣の奥廊。1200年頃に、にゴシック様式風に改造された。 見過ごしがちだが、改造された後も、ここにもご覧の様な連続交差アーチが刻まれている。

カンのロマネスク様式では、ウィリアム一世の創建になる男子修道院付属サンテティエンヌ教会(1077)と、それと対をなす王妃マティルダの創建になる女子修道院付属ラ・トリニテ教会(1066)が有名であるhttp://www.ville-caen.fr/GB/index.html が、同時代のものとして、同じくウィリアム一世が創建したと謂われるSaint-Etienne-le-Vieux(サンテ・ティエンヌ・ル・ボー)がある。
                       
Saint-Etienne-le-Vieux(サンテ・ティエンヌ・ル・ボー) 右側の壁面装飾として残るノルマン式ポインテッドアーチ

Saint-Etienne-le-Vieuxには、連続交差アーチの第2段階のノルマン式ポインテッドアーチの軌跡が壁面に残されている。

関連参考サイト:
http://en.structurae.de/structures/data/index.cfm?ID=s0018469
http://www.tourisme.caen.fr/francais/pressePro/presse/phototheque/29.htm

http://www.virtualtourist.com/travel/Europe/France/Basse_Normandie/Caen-132312/Things_To_Do-Caen-BR-1.html

07/03/11
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