ターイファス(タワイフ)の時代に舞台となった都市の歴史 part6 cf. サラゴサ バレンシア トレド コルドバ セビリア バダホス

○グラナダ(エルビーラ地域) 
タイファの勢力図 主な出来事
ローマ時代以前 この時代、地方の中心都市は、現在のグラナダの北西7キロにあるエルビーラ(イルビーラ)であった。
ローマ時代 エルビーラは、ローマ時代にはイリベリスと呼ばれ、スペインにおけるキリスト教揺籃の地となり、4世紀初頭には公会議が開かれていた。
西ゴート時代
560-711
西ゴート王国の支配。アラブ進入前夜、グラナダはユダヤ教徒が住民の中心をなしていた小さな町であった。
アラブ時代(植民地)
713-755
エルビーラは、713年頃総督アブドゥルアズィーズにより征服される。征服当時、エルビーラは、教会が町の至る所にあったキリスト教の都市で、グラナダは城壁に囲まれた小さな町で、ユダヤ教徒が住民の中心をなしていたという。アラブは郊外のカステラ(カシュターラ)に代官をおいた。
間もなくアラブ人はエルビーラ・グラナダ周辺に土地を獲得し、多く定着したがエルビーラ・グラナダ自体にムスリムは少なかった。
743年、シャミユーンのダマスクス軍団に属するアラブ多数入植。
アラブ時代(後ウマイヤ朝)
アミール国の時代755-912
シリアから逃れたきたウマイヤ朝の王子、アブド・アッ・ラフマーン一世をこの地方の旧ウマイヤ朝のマワーリーは支持し、コルドバに渡り高位高官を占めた。エルビーラの町では原住民の改宗が進み、864年ムハンマド1世の治下にマスジドが大規模に拡張された。

9世紀末に、アラブとムワッラドの闘争が激しくなる。エルビーラではムワッラドの指導者ナービルやアッ・シャミースが少数のアラブを圧倒していた。カイス族系のムハーリブ族の
サッワールは、グラナダにある赤茶けたアルハンブラ(アル・ハムラー、赤)の丘に本拠を定めた。ウマイヤ家はムワッラド側につき、サッワールはウマイヤ朝、キリスト教徒、ムワッラドに対して戦い続けた。窮地に陥ったムワッラドはウマイヤ朝アミール、アブドゥッラー(アブド・アッラフマーン三世の祖父)の仲介で和平を実現した。

サッワール、エルビーラのムワッラド市民そしてレイヨ地方のムワッラドの指導者イブン・ハフスーンとの戦い。この戦闘中に城壁の補強(サッワール、戦争で優位に立つが、エルビーラ市民により暗殺)

ハワーズィン族のサイード・イブン・ジューディー(文武ともに優れた理想的なアラブ人のタイプ)が権力を継承

892年、エルビーラのムワッラド市民、イブン・ハフスーンの兵を追放。イブン・ハフスーン反撃制圧し、イブン・ジューディーも敗北させる。
893年、エルビーラのムワッラド市民、ウマイヤ朝王子ムッタリフに降伏。

897年、イブン・ジューディー、別勢力のアラブ族、ムハンマド・イブン・アドハー軍により殺害

エルビーラ、無政府状態

アラブ時代(後ウマイヤ朝)
カリフ国の時代
912-1012

913年、ムワッラド市民軍、ウマイヤ朝アブド・アッラフマーン三世の軍に加わりイブン・ハフスーン軍と戦う。

921年、ムハンマド・イブン・アドハー軍も、アブド・アッラフマーン三世の軍に加わりイブン・ハフスーン軍と戦う。
*イブン・アドハーの息子アフマド、ダマスクス軍団の長とハエン県代官に任命される。


アブド・アッラフマーン三世、エルビーラ地域を掌握。
ターイファス時代
ズィーリー朝
1012-1090
チュニジアのズィーリー朝本家の一派がスペインに傭兵として渡ったことに起因する、スペインの指導者ザーウィー・イブン・ズィーリー(サンハージャ族)は、1010年のコルドバ市民とベルベル族の紛争を契機に、グラナダ地域にある肥沃なエルビーラを拠点とし、都市国家を創建した(1012年)。

1016年、ザーウィーは、イドリース朝の子孫アリー・イブン・ハンムード(ハンムード家)を支持しコルドバを占領しカリフ即位を助けた。

1018年、ウマイヤ家のアル・ムルタダーを奉じるサラゴサのムンジルやアルメリーアのハイラーンらの連合軍がエルビーラを攻め、これを受けザーウィはエルビーラを捨て
一族と市民と共にグラナーダに移った。甥のハップースがこれに合流し、連合軍を敗る(ムルタダー戦死)。

1019年、ザーウィーは、本家のチュニジアのズィーリー朝と和解し、多くの妻と子を残し、単身、故郷に戻るが、甥のハップースがカーディーの招きでグラナダを占領し政権を奪った。
ハップースはアルハンブラの丘の向かい側のアルバイシンの丘の中腹にアル・カサバ(砦)を建て、その廻りを城壁で囲んだ(アル・カサバ地区)。この時から
グラナダが政治の中心地となる(それ以前はエルビーラ)。
ハップースの外交政策
・マーラガのハンムード家のアリーの息子ヤフヤをカリフと認める。
・アルメリーアのハイラーンの後継者、サカーリバのズハイルと友好関係を築く(ハエンは奪った)。
・1036年、ヤフヤ(ハンムード家カリフ)がセビーリャのアッバード家との戦争で敗死した時、アルメリーアのズハイルと共にセビーリャを攻めた。
ハップースの内政
・多くのユダヤ教徒と含む元来のグラナーダ市民と、グラナーダに移ったエルビーラ市民の融和を図る。
・一族を中心した長老との合議制の形をとり、郊外の別荘(ムンヤ)で会議が開かれた。
宰相(王の書記長カーティブ)
・カイラワーン出身のカラウィー家のアブル・アッバース・イブヌル・アリーフ
・コルドバ出身のユダヤ教徒イスマーイール・イブン・ナグラッラ(シェムエル・ベン・ヨセフ・ハー・レヴィ)(−d1056)
アブル・アッバースの勧めでグラナダの官僚となるが、徴税官を経て、1027年グラナダのユダヤ教徒共同体の指導者(ナーギード)に選ばれ、アブル・アッバースの死後ハッブースによりカーティブに任命された。ユダヤ教徒の学者を保護。
*ユダヤ教徒が宰相に任命されたのは、王がアンダルス人を信用していなかった為であり、ユダヤ教徒であるが結えに王となることも隣国と結ぶ心配もなかった。

ハップースの死後は、長子バーディース(アル・ムザッファル/ラカブ)が継ぐ(在位1038-73)。
宰相(王の書記長カーティブ)
・ユダヤ教徒イスマーイール・イブン・ナグラッラ(−d1056)
・ユダヤ教徒ユースフ(イスマーイールの息子)(b1035-)ユダヤ教徒共同体の指導者(ナーギード)も継承。ユダヤ教徒の学者を保護。貴族的で横柄となり、ユダヤ民衆から疎外することになる。
*ユースフは「旧約聖書」に描かれているソロモンの王の栄光を復活する為に、独特の石積方により、アルハンブラのマチューカの塔からコマレスの塔にかけての地域に宮殿を建てたという説がある(ドイツのバルゲーブルの説)。それによると、現在のアルハンブラ宮殿のライオンの中庭にある8頭のライオンの石像は元々ユースフの宮殿にあったものであり、元来そのライオンが支えていた水盤は現在のアベンセラヘスの間に置かれているものであったとされている。
・アン・ナーヤ(キリスト教徒?)、ザナータ族と結び宰相となるが、アンダルス市民の反感を買いキリスト教徒により殺害。
*ハップースの甥イッディールの叛乱(アッバード家の援助)
1039年、ハンムード朝と共闘し、エンジャでアッバード朝を敗り大勝する(アッバード朝の王子戦死)。

ズィーリー朝の勢力拡大
ハンムード朝、ベルベル、黒人、サカーリバの内紛でカリフ位の無力化
バーディース、ハンムード朝のカリフ、イドリース2世(在位1043-7、1053-6)を事実上支配下に置く。

1047年マーラガのハンムード朝革命(アッバード朝介入)をバーディース鎮圧

1056年、バーディース、マーラガを制圧、長子ブルッギーン(1064年、ユースフによる毒殺の説あり)をマーラガの代官に据える。

アッバード朝にほろぼされたベルベル王国のザナータ族をグラナダに傭兵として入植させる。

1064年アルメリーア王、アル・ムウタスィム、グラナダ領に侵攻。(ユースフの手引きという説あり)

1066年、アンダルス市民、ベルベルが蜂起し、ユースフ殺害。ユダヤ教徒数千人の虐殺。
アル・ムウタスィム、バーディースの反撃に撤退。


1073年、バーディースの死後その子アブドゥラーが王となる。(アル・ムザッファル/ラカブ/在位1073-90)
兄のターミムはマーラガ代官のまま独立。
宰相(王の書記長カーティブ)
サンハージャ族のスィマージャ(アブドゥッラーの教育係であった)(在位1073-1082年)。後にアルメリーアに追放された。

レオン・カスティーリャ王、アルフォンソ6世の侵略があり、3万ディナールを貢納する。

1082年頃
・アブドゥッラー、スィマージャを免職し、アルメリーアに追放。
・マーラガで独立した兄のターミムを追放。

アブドゥラーはレオン・カスティーリャ王、アルフォンソ6世の侵略を排除する為に、ムラービト朝のユースフ・イブン・ターシュフィーンに救援を求める。

1090年、ユースフに退位を迫られ、モロッコの首都マラケシュの近くのアグマートに多額の援助を与えられ隠居することになった。
(彼の回想録に「ティブヤーン」がある)。

アル・ムラービトゥーン朝
時代
1091-1156
工事中
アル・ムワッヒドゥーン朝
時代
1156−1228
工事中
1228−1237 ムハンマド・イブン・フード・アル・ムタワッキルの統治
ナスル朝の時代
1237−
工事中

*主たる参考文献/アラブとしてのスペイン 余部福三
中世スペインにおける様々な集団の呼称とその地位・役割
中世スペイン/タイファ時代の国家とその支配者たち


07/07/16//
inserted by FC2 system