ターイファス(タワイフ)の時代に舞台となった都市の歴史 part7 cf. サラゴサ バレンシア トレド コルドバ セビリア バダホス

○ペチーナとアルメリーア
タイファの勢力図 主な出来事
ローマ時代以前 フェニキア人が設けた拠点ウルキ(Urci)がアルメリーアの起源であると謂われている。
ローマ時代
西ゴート時代
560-711
アラブ時代(植民地)
713-755
アラブ時代(後ウマイヤ朝)
アミール国の時代755-912
844年のタホ川、グアダルキビル川へのヴァイキングの侵略を受けて、アブド・アッラフマーン2世はヴァイキングを殲滅する共に、このような災難を未然に防ぐ為にセビーリャに造船所を設け、多くの軍船を建造させて、警護させる体制を作った。
ペチーナもアラブ軍もアブド・アッラフマーン二世の命により、リバートを建設しヴァイキング襲来の監視をする役割が与えられた。またマグリブとの貿易の活発化に伴ってアルジェリアのテネス港と行き来していた船乗りたちは、ペチーナの港をアンダルス側の拠点として選び、現地のアラブ族と交渉して定着を認められた。

888年、船乗りたちの要請を受けてペチーナ県はエルビーラ県から独立する。
*現地のガッサーン族出身の最初の代官、ウマル・イブン・アスワドは小さな集落の集合体にすぎなかったペチーナをコルドバに似せた都市計画の元に改造し、領域を拡大して城壁で囲み、大マスジドを建設し、キリスト教徒の船乗りのため、教会も建てられた。 さらに周辺にも多くの砦が建設され、人々が入植し、海岸には監視台(マリーヤ)が建てられた(アルメリーアはアル・マリーヤの事)。代官は港に出入りする船や人を厳しくチェックし、スークの秩序は厳しく守られ、商人は財産を残して安心して商用にでることができた。産業では、桑の栽培と絹織物工業を取り入れられた。
この時期が都市としてのペチーナのはじまりである。


890年、政情不安定となっていたこの時期、バルセロナのキリスト教徒の貴族が海から上陸しペチーナを襲うが撃退された。

ペチーナ自治政権
アラブ時代(後ウマイヤ朝)
カリフ国の時代
912-1012
912年、アブド・アッラフマーン三世、エルビーラ出身者をペチーナの代官に任命する。

ペチーナ市民、自らの中から代官を選びウマイヤ朝に認めさせる。

922年、ウマイヤ朝から派遣された代官を受け入れる。
*海岸のアルメリーア(アル・マリーヤ)の造船所(ダール・スィナーア)は拡充され、アルメリーアはウマイヤ朝の海軍基地となり、ここから艦隊が派遣されるようになった。

935年の遠征で、マルセイユやバウセローナを襲撃し、多大の戦利品を獲得する。

955年、アブド・アッラフマーン三世は、アルメリーア港に都市を築き、内陸のペチーナは以後急速に寂れていった。

ハカム二世の治世にアルメリーア艦隊の司令官は、マグリブでファーティマ朝と戦った。
ターイファス時代
自治政権とアーミル朝
1010-1090
1010年のコルドバ市民とベルベル族の紛争で、コルドバの防衛に加わったサカーリバのハイラーン(-d1028年)は、敗戦後、ムルシア地方でサカーリバを集め、ベルベルに対する防衛を約束して市民の支持を獲得し、ムルシアを占領し、アルメリーアを都とした。

1016年、ザーウィーは、イドリース朝の子孫アリー・イブン・ハンムード(ハンムード家)を支持しコルドバを占領しカリフ即位を助けた。1018年、ウマイヤ家のアル・ムルタダーを奉じるサラゴサのムンジルやアルメリーアのハイラーンらの連合軍はこれに対抗しエルビーラを攻めたが、敗れる。

アルメリーアのハイラーンの後継者、サカーリバのズハイル、ズィーリー朝のハップースにハエンを奪われる

ズハイル、ズィーリー朝のハップースと友好関係を築く。

1036年、ズハイル、ヤフヤ(ハンムード家カリフ)がセビーリャのアッバード家との戦争で敗死した時、ズィーリー朝のハップースと共にセビーリャを攻めた。

1038年、ズハイルとその宰相イブン・アッバースはズィーリー朝のハップースの死を契機にグラナダに遠征するが、大敗しズハイルは戦死、アッバースは処刑された。
*この時のアルメリーアの軍隊は、サカーリバの騎兵を主力とし、黒人(スーダーン)歩兵の近衛兵とベルベルのザナータ族傭兵からなる混成部隊であった。

アルメリーア市民、バレンシアのアーミル朝の王アブドゥルアズィーズを統治者として迎える。

1042年、アーミル朝の代官マアン(在位1042-1052)、独立を宣言する。

1064年アルメリーア王マアン子、アル・ムウタスィム(在位1052-91)、ズィーリー朝と組んでムルシア地方に進出。
その後、アル・ムウタスィム、グラナダ領に侵攻。(ズィーリー朝のユダヤ教徒宰相ユースフの手引きという説あり)

1066年、アル・ムウタスィム、ズィーリー朝のバーディースの反撃にグラナダ領から撤退。

アル・ムラービトゥーン朝
時代
1091-1147
工事中
1147−1156 1147年、アルフォンソ7世、十字軍によりアルメリーアを制圧(カタロニア人、ジェノバ人、ピサ人、フランク人の混成部隊)。
アル・ムワッヒドゥーン朝
時代
1156−1228
工事中
1228−1237 ムハンマド・イブン・フード・アル・ムタワッキルの統治
ナスル朝の時代
1237−
工事中

*主たる参考文献/アラブとしてのスペイン 余部福三
中世スペインにおける様々な集団の呼称とその地位・役割
中世スペイン/タイファ時代の国家とその支配者たち
参考サイト:http://en.wikipedia.org/wiki/Almer


07/07/16//
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