○マーラガ |
タイファの勢力図 |
主な出来事 |
ローマ時代以前 |
錫や銅を求めて来航したフェニキア人は南部のカーディスやマーラガなどの植民地を築き、漁業、農業と発達させた。フェニキア人やギリシャ人の文化的影響の下に、土着のイベリア人は紀元前600年頃から、農業、牧畜、漁業、治金(鉄)、織物、色彩陶器などの生産を基礎にして、独自のアルファベットをもって都市文明を起こした。 |
ローマ時代 0?-559? |
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西ゴート時代 560-711 |
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アラブ時代(植民地) 713-755 |
ムーサ・イブン・ヌサイルは、帰国前に子アブドゥルアズィーズをアンダルスの総督代理としてのこしたが、彼はマーラガ、エルビーラを占領し、オリウエーラに本拠と置くムルシア地方の大貴族テオドミルと和約を結んで、キリスト教徒の生命、身分の自由、財産、信仰を保証する代わりに献納させた。シャミユーンのうちヨルダン軍団がマーラガ北方のレイヨ地方に定着する。 |
アラブ時代(後ウマイヤ朝) アミール国の時代755-912 |
9世紀中頃、マーラガのキリスト教徒司教ホステゲシスが神の霊はあらゆるものに見えるという汎神論を説き論争を巻き起こした(イスラームの影響?)。862年と翌年の2回のコルドバの公会議(キリスト教徒)では、ホステゲシスの説が認められた。
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アラブ時代(後ウマイヤ朝) カリフ国の時代 912-1016 |
913年、マーラガ、セビーリャの船から海軍が組織され、マグリブからイブン・ハフスーン(反政府軍)に食料やベルベル傭兵を供給する船を捕獲し、海岸を警備して彼とマグリブとの連絡を断った。
917年、ナークルのサーリフ朝の王子3人がマーラガとペチーナの港に亡命し、アブド・アッラフマーン3世の援助を得てナクールを奪回する。
1009年、コルドバでの内乱(反アーミル家革命)後、ベルベルは定着地を確保する為、住民の抵抗を排してアンダルス南部のマーラガ、エルビーラ、ハエン、アルヘシラスを占領した。
1016年頃、イドリース朝の末裔、アリー・イブン・ハンムード(アーミル家のディーワーン)は、ヒシャーム2世の復位を名目にマーラガに拠点を置く。
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ターイファス時代 ハンムード朝 1016-1056or7? ズィーリー朝 1056or7?-1090
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工事中
1073年、ズィーリー朝のタミーム(アブドゥラーの兄、一時皇太子に指名されていた)、マーラガ代官のまま事実上独立する。その後アブドゥラーに敗れ、マーラガを奪われる。 |
アル・ムラービトゥーン朝 時代 1091-1145 |
工事中
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1145 1147−1156 |
臨時政権発足 イブン・ハムディーン(元コルドバのカーディ)がマーラガに定着。 |
アル・ムワッヒドゥーン朝 時代 1156−1228 |
工事中
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1228−1237 |
1228年、マーラガ市民アル・ムタワッキル(フード朝の子孫と自称する、ムハンマド・イブン・フード或いはアミールル・ムスリミーンのラカブ)の宗主権を認める。<アル・ムタワッキルは、アッバース朝のカリフ、アル・ムスタンスィル(1226-42)に忠誠を誓い、1234年にアッバース朝の使節をグラナーダに盛大に迎え入れた。>
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ナスル朝の時代 1237− |
工事中
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