■ 中世ゲルマン建築・年表 更新 05/09/23//23/02/16 | ||||||
世紀 | 歴史的出来事 | モニュメント | ||||
303-311 | デイオクレティアヌスのキリスト教徒大迫害 | |||||
4世紀 | 312 | コンスタンティヌス1世マクセンティウスに勝利 | 308-319 | アクイレイア:テオドレの教会 | ||
313 | キリスト教公認。 | |||||
314 | アルル(Arles)の公会議 | 312-315 | ローマ:コンスタンティヌスのアーチ | |||
324 | リキニウスに対するコンスタンティヌス一世の勝利 | |||||
306-337 | コンスタンティヌス一世。皇帝。 | 320-340 | ヴァティカン:コンスタンティヌス一世によるサン・ピエトロ教会の建設 | |||
325 | ニケーアの第1回公会議。 | |||||
337-361 | コンスタンティヌス2世の治世 |
326以降 | ローマ: コンスタンティヌス1世によるラテラノのサン・ジョバンニの司教教会と洗礼堂。 | |||
352-366 | リベリウスの任期。 | |||||
361-363 | ユリアヌスの治世 | |||||
366-384 | ダマスス1世の任期。 | 382 | ミラノ: バシリカ アポストロルム | |||
374-397 | 聖アンブロシウス(Saint Ambrose)。ミラノの司教。 | 384-399 | ローマ: サンタプデンツィアーナ教会, 教皇シリキウスによって建立 | |||
379−395 | テオドシウスの治世 | 386 | ローマ: サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 | |||
391 | キリスト教がローマ帝国の国教となる。 | |||||
395 | ローマ帝国東西に分裂。テオドシウスの息子、アルカディウスが東、ホノリウスが西。 | |||||
395-423 | ホノリウス1世の治世。西ローマ帝国皇帝。 | |||||
5世紀 | 400 | トレドの第1回公会議。 | ||||
402-476 | ラヴェンナが西ローマ帝国の首都となる。 | |||||
406-407 | スエヴィ族とヴァンダル族のガリアへの侵入。 | |||||
408 | アラリック、イタリアに戻る。 | |||||
409 | スエヴィ族とヴァンダル族、スペインに侵入。 | |||||
410 | アラリック、ローマに侵入。 | |||||
415 | アタヌルフ暗殺される。 | 418 | マルセイユ:聖ヴィクトールの修道院 | |||
432-440 | シクストゥス3世(教皇)の任期。 | 425 | ラヴェンナ:サン・ジョバンニ・エバンゲリスタ | |||
440-461 | 教皇レオ1世(隠れたローマ皇帝)の任期。 | 432 | ローマ:サンタ・マリア・マジョーレとラテラノのサン・ジョバンニの洗礼堂の再建 | |||
451-452 | アッティラ大王(フン族)、ガリア、イタリアに侵入。カタラウヌム平原の戦いで敗れる。 | 450 | ラヴェンナ:ガラ・プラキディアの墓 ラヴェンナ: 正教会の洗礼堂 クレルモンフェラン:大聖堂 トゥールズ: ノートルダムドゥラダウラーデ |
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455 | ローマ、ヴァンダル族に占領される。 | 460-491 | ツール:サン・マルタンのバシリカ | |||
476 | オドアケル、ローマ占領。ロルムス・アウグストゥルスを退位させ、西ローマ帝国の滅亡。 | 475 | ヴィエンナ: basilica des Apotres(使徒大聖堂) | |||
481-511 | クローヴィスの治世。(フランク) | 490-520 | ラヴェンナ:アリウス派洗礼堂 | |||
488-493 | テオドリック大王イタリア統治。 | 491 | オーセール:サン・ジェルマンのバシリカ | |||
493 | テオドリック大王オドアケルに勝利する。 | 5世紀末- 6世紀初期 |
ヴィエンナ:サン・ピエールのバシリカ | |||
6世紀 | 507 | クローヴィス Vouilleで勝利する。 | 507 | パリ: basilica des Apotres (使徒大聖堂) | ||
509-531 | 西ゴート族のスペイン支配 | |||||
510 | サリ族法典(Salic Law)公布 | |||||
527-565 | ユスティニアヌス(Justinian)の治世 | 520 | ラヴェンナ:サンタポルナーレ・ヌーヴォの完成 | |||
534以後 | 聖ベネディクト会派の編成 | after526 | ラヴェンナ:テオドリク大王の霊廟 | |||
537 | ゴード族によるローマの包囲攻撃。 | 521-547 | ラヴェンナ:タン・ヴィターレのバシリカ | |||
540 | ラヴェンナ、ビザンティンにより支配される。 | 549 | ラヴェンナ:サンタポルナーレ・イン・クラッセのバシリカの献納 | |||
541-542 | スペインの西ゴード族に対するシルデリック(Childeric)の軍事行動 | 552-557 | メッス:サンテティエンヌの大聖堂の拡張 | |||
546 | ローマ、東ゴード族に占領される。 | 555 | ポアティエ:サントクロワの修道院の建設 | |||
553 | フランク族とアレマン族、北イタリアに。 | 558 | ナンテ:大聖堂 | |||
560 | トレドに西ゴー族の宮廷(首都)が置かれる。 | 570 | トゥールズ:サン・セルナンのバシリカ | |||
568 | ロンバルド族、北イタリアに侵入。 | |||||
573-584 | トゥールのグレゴリーの司教の任期。 | |||||
584 | ラヴェンナのロンバルド族との闘争の始まり。 | 579-600 | オータン:サン・マルタンの修道院の建立 | |||
587 | 西ゴート族の王レカーレド(レカルド1世)カソリックに改宗。 | 590 | リュクスイ:修道院の建立 | |||
590-604 | 教皇グレゴリウス1世の任期 | 6世紀末 | ローマ:サン・ペテロのバシリカの地下聖室 | |||
7世紀 | 617 | エドウィンによるイングランド支配。ノーサンブリアの王。 | 609 | 教皇ボニファチウス4世による、聖母に捧げられた万神殿の献納 | ||
627 | エドウィン王の改宗 | 612 | ボッビオの修道院の建立 | |||
629 | シィンティラ(西ゴード王)によるスペインからビザンティンの排除 | 613 | サン・ガル(St.Gall)の修道院の建立 | |||
629-639 | ガリアのダゴベルト1世の治世。 | 630-690 | ジュアル大修道院の建立 | |||
633 | トレド第4回公会議。セビリャのイシドールにより主宰される。 |
635 |
ノーサンブリア:リンディスファーン修道院の建立。 | |||
636 | セビーリャのイシドール没 | |||||
653 | ロンバルド族のキリスト教への改宗。 | 650 | フォントネーの修道院の建立 | |||
663-664 | ホイットビー(Whitby)の宗教会議:ブリトン人に強要されたローマの権威。 | 650-700 | サンタ・マリア・キンタニージャ・デ・ラス・ビーニャス | |||
668-670 | タルススのテオドア(Theodore)(後のカンタベリーの大司教)によるローマ式儀礼の賦課 | 654 | ジュミエージュ:修道院の建立 | |||
672-735 | the Venerable Bede's Historia ecclesiastica gentis Anglorum | 661 | アストゥリアス:サン・ファン・デ・バオスの教会の献納 | |||
673-677 | アラブのコンスタンティノーブルの包囲攻撃 | 673以降 |
ジュアルJouarreの大修道院の葬儀地下祭室 |
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675 | ヒルデリヒの暗殺 | 674 | モンクウェアマウスの修道院の建立。 | |||
680 | エルスタールのピピン、アウストラシアの実権を有する属官。 | |||||
687 | カスバートの死。Lindisfarneの司教。 | 698 | エヒタナハの大修道院の建立 | |||
8世紀 | 711-713 | アラブによるスペインの征服 | 8世紀初め | ポアティエ:Dunesの地下墓室 | ||
716-754 | 聖ボニファティウスのドイツにおける伝道活動。ドイツの教会の基礎を築くことになった。 | |||||
722 | アストゥリアスからイベリア半島の再征服始まる。 | 724 | ライヒェナウの修道院の建立 | |||
731 | 法王グレゴリウス3世 icondemns 偶像破壊 |
737 | チヴィダーレ:カリクストゥスの洗礼堂 | |||
732-735 | カール=マルテル、アラブ族をガリアから駆逐し、アキテーヌを支配下に入れるが、、トゥール・ポアティエの戦 | |||||
739 | ロンバルド族、ローマを占領 | |||||
739-757 | アルフォンソ1世、アストゥリアス支配する。 | |||||
743-751 | ヒルデリヒ3世の治世。最後のメロヴィング朝フランク | |||||
751 | ロンバルド族によりラヴェンナが占領される。 | 750 | フルダ:サン・ドニの修道院 | |||
756 | アイストゥルフ(ランゴバルド王)によるローマの包囲攻撃。 ピピンのイタリア遠征。 |
752-757 | ローマ:サン・ピエトロのバシリカの鐘楼 | |||
761-771 | 聖像破壊の論争。 | |||||
768 | ピピン、アクィタニア征服、カールとカールマンに王国、フランク族の王位を分譲。 | |||||
771 | カールマンの死。カール大帝単独の王となる。 | 774 | ロルシュ:修道院の献納 | |||
772-774 | デシデリウス、教皇領侵入。 カール大帝によるパヴィアの包囲攻撃、ランゴバルド族の王。 |
774-787 | インゲルマイム(Ingelheim):カロリング朝の宮殿 | |||
778 | カール大帝スペインへ。「ローランの歌」 | 775 | サン・ドニ:サン・ドニの修道院教会の献納 | |||
785 | ザクセン(Saxony)の征服。 | 777以降 | ナイメーヘン: カロリング朝の宮殿 | |||
786 | カール大帝によるローマ式礼拝式の賦課 | 779-780 | コルヴァイ:修道院の建立 | |||
791 | ノルマン人の初めての大ブリテンへの侵入。 | 790-799 | ケントゥーラ:サン・リキエの教会の再建 | |||
795-816 | 教皇レオ3世の在任期間 | 790-819 | フルダ:教会の拡張 | |||
796-804 | アルクイン、トゥールのサン・マルタンの修道院長。 | 792 | アーヘン:メッスのオドによる宮殿の建設 | |||
798-821 | テオドゥルフ、サンブノアシュルロアール(修道院長及びオルレアンの司教) | 799 | ナイメーヘン:宮殿の教会の献納 サン・リキエ:修道院教会の献納 |
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798 | 「アブドゥラーの反乱」ルイ一世(カール大帝の息子)ウエスカを占領 | 799-814 | リヨン:Saints-Apotresの教会の再建 | |||
799-816 | ライヒェナウ:大修道院教会の再建 | |||||
799−816以降 | リヨン:サン・ジャンの大聖堂 | |||||
799-818 | ジェミニ・デ・プレ: テオドゥルフの別荘と小礼拝堂 | |||||
8世紀末 | アガヌム:サンモーリスのバシリカ | |||||
9世紀 | 800 | カール大帝ローマで西ローマ帝国の帝冠を受ける。De Villis Capitulary | 800-850 | パーダーボルン:Blessed Savior ll | ||
801 | ダルマティア遠征 | 800 | コーヌ,クリュア, マンドリュ, サン・サヴァン・シュル・ガルタンプ大修道院の建立 ケルン:新大聖堂 |
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803 | バルセロナの占領。 | 804 | ジェローヌ:修道院の建立 | |||
805-806 | ボエミアの征服 | 805 | ダルマチア:ザダルの聖ドーナットの献納 | |||
807 | ハルン・アルラッシード、パレスティナの聖地におけるフランク族の権利を認める | |||||
809-812 | ヴェネツィアの征服 スペイン軍創設 |
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810 | デーン人によるフリースラント(Friesland:オランダ)の略奪。 | 814-819 | ノアムーティエ: サン・フィルベール・ド・グラン・リュ第一教会 | |||
814 | カール大帝没。 | 814 | コーンエリミュンスター大修道院の建立 | |||
816 | ランスでのルイ(ルードヴィッヒ敬虔王)の戴冠式 | 814-826 | サン・カンタンの教会 | |||
817 | アインハルト、ロタールの個人教授となる。 | 816 | ブレシア:サン・サルヴァトーレ コルヴァイ:大修道院の建立 |
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817-824 | 教皇パスカリス1世(Paschal ?)の任期。 | 816-817 |
サン・ガルの計画 |
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820 | ノルマン人セーヌ川河口に現る。 | 816-836 | ランス: サンタ・マリア(Sainte-Marie) | |||
816-841 | ソアソン:サンメダールの地下祭室 | |||||
816-862 | ランス:大聖堂 | |||||
817 | インデン:大修道院教会の献納 | |||||
823 | ロタールの戴冠式 | 817-824 | ローマ:サンタプラッセーデのサン・ゼノの小礼拝堂 | |||
823-855 | Drogon、メッスの司教に。 | 817-824 | ゼーリゲンシュタット:教会 | |||
827-844 | 教皇グレゴリウス4世の任期。 | 820-822 | フルダ:サン・ミッシェルの教会 | |||
830 | ロタールとその兄弟の叛乱。 | 820 | シャルーの修道院の教会の建設。 | |||
831 | ルイ(Louis the Pious)権力の座に復帰。 | 822-844 | コルヴァイ:最初の教会 | |||
838 | シャルル禿頭王(Charles the Bald)の戴冠式。 ピピン没。 サラセンによるマルセイユの略奪。 |
823-833 |
フォンタネッラ:修道院の再建 | |||
840 | ルイ(the Pious)とアインハルト没。 ノルマン人によるイングランド侵略の本格化。 |
824-857 | オーセール:大聖堂の再建 サンテティエンヌとノートルダム 洗礼堂の再建 |
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843-877 | シャルル2世禿頭王(Charles the Bald)の治世。 | 827 | スタインバッハ:修道院の献納 | |||
841 | ノルマン人 Quentovic を攻撃。 ジェミエージュの破壊。 |
828以前 | シェーニスの修道院 | |||
843 | ヴェルダル条約。 ノルマン人による Nantes の略奪。 Indret の大修道院の破壊。 ヴェルトゥーの修道士の集団的移動。 |
830 | ノアムーティエ:修道院の堅牢化 | |||
845 | ノルマン人によるケントゥーラとパリのバシリカ Sainte-Genevieveの破壊。 | 831-832 |
リモージュ:サン・ソヴールとサン・マルティアル教会の献納 |
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847-855 | 教皇レオ4世の任期。 | 832 | サン・ドニ:奥廊内に建てられた礼拝堂の献納 | |||
849-850 | サラセン、プロヴァンスを急襲。トゥールーズ伯ギョームとの共闘 | 833-835 | ルマン:大聖堂 | |||
853 | 新たなノルマン人の侵略。 修道士の集団移動。 聖遺物の移転。 |
836 | コブレンツ:セイント・カストールの教会の献納 | |||
855 | ロタールと教皇レオ4世、没。 | 836-846 | ノアムーティエ:Saint-Philibert-de-Grandlieuの拡張。 | |||
856 | ノルマン人によるオルレアンの搾取。パリ侵入。 | 841-859 | オーセール:サン・ジェルマンの地下聖室 | |||
857 | ノルマン人による Frotbald( シャルトルの司教)の殺害。 | 842-850 | アストゥリアス: ナランコの宮殿 サン・ミゲル・デ・リーリョ サンタ・クリスティーナ・デ・レナ |
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858-867 | 教皇ニコラス1世の任期。 | 846 | サン・オメール:要塞化 | |||
859-860 | ノルマン人、スペイン周辺を急襲。 | 847-855 | ローマ: サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラとサン・ペトロの改修 | |||
862 | ループスの死。モラヴィアのフェリエール、シリル、メトディオスの大修道院長。 | 852 | ランス:セイント・レミ( Saint-Remi)の献納。 | |||
863 | ノルマン人によるポアティエの略奪。 | 852-876 | ヒルデスハイム:大聖堂 | |||
863-864 | シャルル禿頭王アクィタニアを得る。 クレルモントにノルマン人現る。 ピトレ(Pitres)総会。 |
855 | セント・ガルスの修道院の要塞化 | |||
865 | Saint-Benoit-sur-Loireの略奪 | 859 | ハルバーシュタット:大聖堂の献納 | |||
866 | ロベール、強王の死 | 860-867 | コルヴァイ:新奥廊 | |||
867-872 | 教皇ハドリアヌス2世任期。 |
862 | ラン:第2大聖堂の献納 | |||
869 | ロタール2世没。 サラセンによるオルレアンの司教の殺害。 |
862-875 | マクサンス修道院の教会と地下祭室の建立 |
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872 | アンジェーにノルマン人現る | 863-875 | ハイリゲンベルク:ザンクト・ミヒャエルの教会 | |||
872-882 | 教皇ヨハネ8世の任期。 | 874-878 | フラヴィニーのサン・ピエールの地下聖室 | |||
875 | ローマでシャルル禿頭王の戴冠式。 ルイ、ドイツ王によるフランスの侵略。 |
869 | マン、トゥール、ディジョンの都市壁の再建 | |||
876 | シャルル2世の戴冠、イタリア王。 ルイ、ドイツ王、没。 ノルマン人セーヌ川に侵入。 |
871-880 | ディジョン:サン・ベニニュ教会の再建 | |||
877 | Quierzyの開城 シャルル禿頭王没。 |
873-885 | コルヴァイ:修道院教会 | |||
877-879 | ルイ二世吃音王の統治 | 878 | コンビエーヌ:要塞化 フラヴィニー:修道院教会の献納 |
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878 | カールマン、イタリア王として即位。 教皇、マジャール人からフランスを救済するよう要請。 |
879 | ミラノ: サンサティロの小礼拝堂 | |||
879-882 | ルイ吃音王の死。 ルイ3世とカールマンの治世。 ノルマン人ケントに現る。 |
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881 | シャルル禿頭王(とくとうおう)の塗油 新たなノルマン人の侵略。 アーヘンの宝物のStavelotへの移動。 |
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882-885 |
ノルマン人ラインラントに現る。 ノルマンの敗退。 |
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884 | カールマン没。 カール肥満王の戴冠。 |
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885-886 | ノルマンによる部分的包囲攻撃 |
885 |
オータン:サン・マルタンの修道院教会の再建 | |||
885-891 | 教皇ステファン5世の任期。 | |||||
886 | オーセール、ベッツ(Beze)、ディジョン、フラヴィニーのサン・ジェルマンの修道院の破壊。 ナントの司教、アンジェに逃避する。 |
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887 | カール3世肥満王、退位させられる。 王としてオドを選出。 |
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888 | ノルマン人オドにより Montfaucon に侵攻。 | 888-913 | ライヒェナウ・オーバーツェル: ザンクト・ゲオルク教会。 | |||
890-972 | サラセン人(イスラム教徒)、バールの La Garde-Frefnet を占領する。 | 889-890 | ベズレー、トゥルニュ、コルビーの修道院の要塞化。 | |||
892-923 | シャルル3世単純王の治世。 | |||||
897 | 教皇ステファン5世の殺害。 | 897-910 | ナント:大聖堂の再建と要塞化。 | |||
10世紀 | 900 | 司教の座が Iria Flavia からサンティアゴ・デ・コンポステラに移る。 | 10世紀初期 | タラサ:監督教会派 | ||
902 | アルフォンソ3世大王のサモラでの勝利。 | |||||
909 | アラブのシシリーの征服完了 | |||||
910 | アキタニアのウィリアムによってクリュニー修道院が建立される。 | 910 | スーイヤック(Souillac):大修道院の建立。 | |||
911 | コンラード1世ドイツ王に選出される。 | |||||
912-961 | アブド・アッラフマーン3世の治世 | |||||
913 | レオン、アストゥリアスの首都となる。 | 913-952 | ミンデン(Minden):カロリング家の大聖堂 | |||
914-928 | 教皇ヨハネ10世の任期。 | |||||
918 | マジャール人、 ローヌ川、ロレーヌ、シャンパーニュに侵入。 | 920-940 | サンス:サン・ピエール・ル・ヴィフの教会の地下祭室の拡張 | |||
924 | コンラート1世ドイツ王、没。 | |||||
929 | コルドバのウマイヤ朝、カリフ国を宣言する。 | |||||
930-937 | ハンガリー族ブルグンド王国を急襲。 | 933-961 | オーセール:サンテティエンヌの大聖堂のクワイアの拡張 | |||
936 | オットー1世。ドイツ王。 | 934 | ジュミエージュ(Jumieges):迅速な廃墟からの再建 | |||
936-954 | ルイ四世(d'Outremer)。フランス王。 | 936以前 | クヴェードリンブルク:ヴィペルティ教会の地下祭室 | |||
936−978/79 | メディナ・アッ・ザフラー(コルドバ近郊)の建設 | |||||
940 | ロレーヌ、帝国を再統合する。 | 937-948 | フルダ: 修道院教会の第2奥廊への二本の高い円搭の増築 | |||
948-994 | Mayeu 一世。クリューニーの修道院長。 | 938 | トゥールズ:サンマルタンの教会の要塞化 | |||
951 | オットー1世。ロンバルディー王。 | 943以前 | ヴェルデン・ルール: Holy Savior修道院教会の西構えの建設 | |||
954-986 | ロタールの治世。ルイ4世の息子。フランス。 | 946 | クレルモンフェラン:ノートルダム第2代聖堂の献納。 | |||
955 | レヒフェルトの戦い:オットー1世ハンガリー人に勝利する。 | 960-979 | トゥールズ:聖フィリベルの第2修道院教会の建設。 | |||
961-976 | ハカム二世の治世(ウマイヤ朝) | 961-962 | ハカム二世によるコルドバのメスキータの二回目の拡張。連続交叉アーチの登場。 | |||
962 | オットー1世、教皇ヨハネ12世によりローマ皇帝を戴冠する。 | 963-981 | クリューニ:修道院長 マイユルによる第2修道院教会の建設。 | |||
966 | Mieszko 一世(ポーランド王)?、洗礼を受ける。キリスト教ポーランド国の創設。 | 965 | ケルン: カピトルのザンクト・マリア教会の修復 | |||
973 | オットー1世死亡。 | 972-1008 | リエージュ(Liege): サン・ジャンの建設 | |||
973-983 | オットー2世の治世 | 975-1009 | マインツ:大聖堂の建設 | |||
977-993 | Episcopate of Egbert of Trier | 976 | ラン:大聖堂の門鐘楼の建設 | |||
977-1002 | アル・マンスールのスペイン再征服活動 | 980 | ケルン:ザンクト・パンタレオンの修道院教会の献納 | |||
985 | アル・マンスールによるバルセロナ侵攻 | 980-990 | ジュミエージュ(Jumieges): サン・ピエール(Saint-Pierre)の建設 | |||
987-996 | ユーグ・カペー、ノアヨンでフランス王を宣言する。カぺー朝の創設。 | 984 | メッス:大聖堂の再建始まる。 | |||
987 | ヴラディーミル、キエフ大公の洗礼(ギリシア正教を国教として確立した) | |||||
990-1031 | Volpianoのウィリアム、 ディジョンのSaint-Benigneの修道院長。 | 989-1029 | オルレアン:サンテニャン教会建設 | |||
994-1049 | オディロン、クリューニの大修道院長となる。 | |||||
996-1031 | ロベール敬虔王、フランスの国王となる。 | 996 | ヒルデスハイム:ザンクト・ミヒャエルの修道院の建立 | |||
997 | アル・マンスールによるサンティアゴ・デ・コンポステーラのバシリカの破壊。 | 998以前 | ボヴェ:バッセ オーヴルの聖母教会 | |||
999-1003 | 教皇シルウェステル2世の任期。 | |||||
11世紀 | 987-996 | ユーグ・カペー、フランス王:カペー朝の創設。 | 961 | ゲルンローデ:聖キュリアクスの建立 | ||
996-1002 | オットー三世、ドイツ皇帝。 | 989-1029 | オルレアン(フランス中北部):Sant-Aignan | |||
996-1031 | ロベール、敬虔王、フランス王。 | 1010-1033 | ヒルデスハイム(ドイツ中西部):ザンクト・ミヒャエル | |||
1009 | 後ウマイヤ朝反アーミル家革命 | |||||
1022 | ヒルデスハイムのBernwardの司教任期の終わり。 | 1022 | サン・ペラ・ダ・ローダス:聖別 | |||
1024-1032 | 教皇ヨハネス19世の任期 | 1023頃 | モン・サン・ミシェル:ロマネスク教会の建立 | |||
1025-1061 | シュパイアー?(ドイツ西部) | |||||
1025-1080 | リモージュ(フランス中西部):サン・マルシャル | |||||
1029 | サンチョ三世(ナバーラ王)王国をアラゴン、カスティーリャ、ナバーラに分割。 | |||||
1031 | コルドバのカリフ国の終焉 | |||||
1031-1060 | アンリ一世、フランス王 | |||||
1032-1044 | 教皇ベネディクトゥス9世の任期 | 1032/1034 | Ropoll:サンタ・マリアの聖別 | |||
1035-1065 | フェルナンド一世、カスティーリャとレオンの王 | 1040以前 | サン・ミシェル・ド・キュクサ(フランス南部):Olibaによって建てられた修道院の拡張。 | |||
1039-1056 | ヘンリー三世、ドイツ皇帝 | 1040 | コモ(イタリア北部):大聖堂の聖別 カルドナ:サン・ビセンスの聖別 |
|||
1042-1066 | エドワード懺悔者、ノルマン・コンクエスト以前のイギリス最後のアングロ・サクソン王。 | 1040-1067 | ジュミエージュ (フランス北部):ノートル・ダム | |||
1045-1046 | 教皇シルヴェステル3世の任期 | 1045 | ハールトのリンブルグ:ベネディクト会修道院の完成 | |||
1046-1081 | サラゴサのアルハフェリヤ宮殿 | |||||
1045-1046 | 教皇グレゴリウス6世の任期 | 1047 | ペリグー:サンフロンの最初の修道院教会 | |||
1046-1047 | 教皇クレメンス2世の任期 | 1049以前 | ポワティエ(フランス中西部):サン・ティレール・ル・グランの鐘楼の聖別 | |||
1047-1048 | 教皇ベネディクトゥス9世の二回目の任期 | 1049 | オットマールスハイム:ザンクト・マリアの聖別 | |||
1048 | 教皇ダマスス2世の任期 | 1049 | ランス(フランス北東部):サン・レミの大聖堂の完成 | |||
1049-1054 | 教皇レオ9世の任期、教会改革始まる。 | 1050 | ベルネー:ノートル・ダムの修道院教会の完成 ヴィニョリー:サンテティエンヌの教会の聖別 |
|||
1055-1057 | 教皇ウィクトル2世の任期 | 1057 | レイレ:サン・サルバドルの聖別 | |||
1056-1106 | ヘンリー四世、ドイツ皇帝 | 1059頃 | カン(フランス北西部):(ウィリアム征服王の妻)マティルダによる(アベイ・オー・ダームの建立:サント・トリニテの教会の着工。 | |||
1057-1058 | 教皇ステファヌス9世の任期 | 1060 | コンク(フランス南部):サント・フォアの聖別 | |||
1057-1059 | イサキオス一世コムネヌス(ビザンティン帝国の名家)のビザンティン帝国皇帝。 | 1060-1150 | トゥールーズ(フランス南西部):サンセルナン | |||
1059 | ロベール・ギスカール、カラブリアとアプリア公 | 1063 | レオン:サン・イシドロ(イシドルス)の聖別 | |||
1060-1091 | ノルマン人によるシシリー島占領。 | 1063-1094 | ベニス:サン・マルコの改修 | |||
1060-1108 | フィリップ一世、フランス王 | 1063-1100 | モワサック:サン・ピエールの修道院 | |||
1061-1073 | 教皇アレクサンデル2世の任期 | 1063頃 | カン(フランス北西部):ウィリアム庶子王(後の征服王)によるアベイ・オー・フォームの建立 。 | |||
1064 | アレクサンデル2世によるスペイン(フード朝)への十字軍教書発令。 | |||||
1065 | アルフォンソ一世、レオン王 | 1065 | ケルン:ザンクト・マリア・イン・カピトールの聖別 | |||
1066 | エドワード懺悔王(イギリスの王)没。 ヘースティングの戦いと(ノルマンデー公)ウイリアムによるイギリスの征服。 |
1066頃 | フロミスタ:サンマルティンの修道院 | |||
1066-1087 | ウィリアム一世征服王、イギリス王、の治世。 | 1067-1069 | ケルン:ザンクト・ゲレオン | |||
1072 | ノルマン人、パレルモを占領。 | 1067-1107 | シロス:サント・ドミンゴの修道院 | |||
1072-1109 | カスティーリャとレオンの王、アルフォンソ四世の治世。 | 1068 | ヌヴェール(フランス中部):サンテティエンヌ着工 | |||
1073 | シロスのドミンゴ没。 | 1075-1080 | サンティアゴ・デ・コンポステラ(スペイン北西部):大聖堂 | |||
1073-1085 | 教皇グレゴリウス7世の任期 | 1076 | サン・ギレム・ル・デゼル(フランス南部):修道院の完成 | |||
1075-1085 | 教皇グレゴリウス7世と皇帝ヘンリー(ハインリヒ)四世の間の叙任権論争。 | 1077 | セイント・アルバヌス着工 | |||
1076 | トルコ人による、エルサレムの占領。 | 1077-1097 | ロンドン:ホワイト・タワー | |||
1077 | 皇帝ヘンリー(ハインリヒ)四世、法王グレゴリウス7世の前のカノッサの屈辱。 | 1080-1106 | シュパイアー?(ドイツ西部) | |||
1080 | メルセブルクの戦いでシュヴァーベンのルドルフ没。 | 1080-1130 | クリューニー3:修道院教会(未完成) | |||
1080頃-1146/1148 | ノーフォーク(イングランド):キャスル・エーカー小修道院 | |||||
1081-1118 | アレクシウス 1 世コムネヌス、ビザンティン皇帝;ビザンティン帝国再建。 | 1081-1239 | マインツ(ドイツ西部):大聖堂 | |||
1083 | ロベール・ギスカールによるローマの略奪。 | |||||
1084 | ヘンリー(ハインリヒ)四世、対立法王クレンメント三世により、ローマで皇帝位戴冠。 | |||||
1085 | アルフォンソ四世によるトレドの占領、スペインのレコンクエスト(再征服)続く。 | |||||
1086-1087 | ウィクトル3世の名の下法王デシデリウス任期 | |||||
1087-1100 | イギリスのウィリアム二世の治世。 | |||||
1088-1099 | 教皇ウルパヌス2世の任期 | |||||
1091 | アレクシウス 1 世コムネヌスにより、ペチェネグ族(8〜13世紀に活動したトルコ系遊牧民族)、全滅される。 | |||||
1093 | マリア・ラーハ:修道院教会の着工 | |||||
1093 | 教皇ウルバヌス二世ローマに帰る。 | 1093-1133 | ダラム(イングランド北部):大聖堂の再建 | |||
1093-1190 | イーリー(イングランド東部):大聖堂の建設 | |||||
1094 | サンフアンデラペナ(スペイン):修道院の聖別 | |||||
1095 | コモ(イタリア北部):Sant'Abbondioの聖別 | |||||
1096-1106 | ヴェズレー(フランス中北部):サン・マドレーヌの再建 | |||||
1095 | クレルモンの教会会議:十字軍の勧告。 | 1096-1145 | ノリッジ(イングランド東部):大聖堂 | |||
1096-1099 | 第一次十字軍 | 1098 | トラーニ(イタリア南部):大聖堂の再建始まる | |||
1097 | アレクシウス1世コムネヌスと十字軍の軋轢 | 1099-1184 | モデナ(イタリア北部):大聖堂 | |||
1098 | 修道士のシトー会教団設立 | 1100以前 | Loarre:ナバーラ王の城 | |||
1099 | 十字軍、エルサレムを占領略奪する | 11世紀頃 | ロシュ(フランス中西部):キープ | |||
1099-1118 | 教皇パスカリス2世の任期 | |||||
12世紀 | 1100-1135 | ヘンリー一世、イギリスの王 | 1100-1150 | クレルモン-フェラン(フランス中南部):Saint-Bénigneの聖別 | ||
1102 | スペインにムラービト朝進入。 | -12世紀始め | コルチェスター(イングランド):聖ボトルフ小修道院 | |||
1104-1134 | アルフォンソ一世(アラゴンとナバーラの王)の治世。 | 12世紀始め-中頃 | ダルメニー(スコットランド):聖カスパート教会※旧モスク遺構を教会に改修か?当該遺構の建設時は1066頃? | |||
1106 | イギリスのヘンリー一世、長男ロバートを負かす。 | 1106 | ディジョン(フランス東部):Notre-Dame-du-Port | |||
1106-1125 | ヘンリー五世(ドイツ皇帝)の治世。 | 1107 | リヨン(フランス中東部):Saint-Martin-d'Ainayの聖別 | |||
1108-1137 | ルイ六世肥満王、フランス王。 | 1108 | サウスウエル教会堂着工 | |||
1118-1143 | ヨハネ二世コムネヌス(ビザンティン皇帝)の治世。 | 1109以前 | パレルモニアル(フランス中東部):サン・ピエールの大聖堂の着工 | |||
1119-1124 | 教皇カリストゥス2世の任期 | 1110 | アングレーム(フランス西部):サン・ピエールの大聖堂の着工 | |||
1121 | ソアソンの教会会議:ピエール・アベラールの教理糾弾される。 | 1117-1138 | ヴェロナ(イタリア北東部):サン・ゼノ・マッジャーレの再建 | |||
1118 | ピサ:未完成の大聖堂の聖別 | |||||
1122 | ヴォルムス協約(神聖ローマ皇帝ヘンリー5世と教皇カリクストゥス (Calixtus) 2世の間の協約)。 叙任権論争の終結。 | 1120頃 | フーダン:キープの建設始まる | |||
1122-1126 | ビザンティンとベネチアの戦争。 | 1120-1132 | オータン(フランス中部):サン・ラザールの大聖堂 | |||
1122-1151 | サン・ドニのシュジェールの修道院長の任期 | 1120-1173 | ペリグー(フランス南西部):サン・フロン | |||
1124-1130 | ホノリウス2世の司教の任期 | 1120以降 | ヴェズレー (フランス中北部):サン・マドレーヌの二度目の遊説 | |||
1125-1153 | クレルヴォーの世ベルナルドの修道院長の任期。 | 1123 | タウイ:サン・クリメント教会とサンタ・マリアの聖別 | |||
1123 | テュークスベリー(イングランド中南西部):修道院教会の聖別 | |||||
1125-1137 | 皇帝ロタール三世(ザクセン公) | 1123-1136 | ロチェスター(イングランド東南部):王城 | |||
1126-1157 | アルフォンソ七世(カスティーリャ)の治世 | 1125頃 | サン・マルタン・ド・ボッシェヴィル:サン・ジョルジュの再建、完成 | |||
1128 | イギリスのマティルダ(ヘンリー一世の娘)と ジョフロア プランタジネット(アンジュの伯爵)の婚姻 | 1130 | カンタベリー:大聖堂の聖別 | |||
1128 | オートヴィル家のルッジェーロ二世、シシリー王。教皇アナクレトス二世の分立の始まり。 | 1130-1140 | キャッスルヘディンガム:城 | |||
1130-1143 | イノセント二世の教皇任期 | 1130-1145 | ポワティエ:ノートル・ダム・ラ・グランジュ | |||
1133 | ロタール三世の皇帝戴冠 | |||||
1132-1133 | ロタール三世の最初のイタリア遠征:教皇イノセントによりラテラノ大聖堂で神聖ローマ帝国皇帝として戴冠す。 | G | 1130-1144 | サン・ドニ:西構えと内陣/大修道院長シュジェールのバシリカ | ||
1135-1154 | ステファン(イギリス王)の治世 | 1131以前 | ラ・セウ・ドゥルジェイ:大聖堂着工 | |||
1131-1180 | ラ・セウ・ドゥルジェイ:大聖堂 | |||||
1132 | パヴィア(イタリア北部):Ciel d'Oroのサンピエトロの聖別 | |||||
1136-1137 | ロタール三世の二度目のイタリア遠征:南イタリアのノルマン人の領土征服される。 | G | 1132-1145 | サン・ジェルメール・ド・フリ:修道院教会の内陣 | ||
1137 | フランス国王ルイ7世とアキテーヌのエレノアの婚姻。 アラゴンとタロニアの連合。 |
|||||
1137-1180 | フランス国王ルイ7世 | 1133 | クレルヴォー(フランス中北部):クレルヴォー?の修道院教会の建設始まる | |||
1137 | コンラード三世ホーエンスタウフェン家、ドイツ王に選出される | |||||
1138-1139 | ホーエンスタウフェン家擁護派皇帝党(ギベリン党)と教皇党の闘争。 | 1133-1172 | ヒルデスハイム(ドイツ中北部):ザンクト・ゴットハルト | |||
1138-1152 | 国王コンラード三世ホーエンスタウフェン家 | 1135 | キアラヴァッレ・デッラ・コロンバ:修道院教会、着工 | |||
1139-1180 | ヘンリー獅子王、満場一致でザクセン公として認められる | 1139-1147 | フォントネー(フランス中東部):修道院教会 | |||
1139 | ステファンと従姉妹マティルダの間のイギリスの内戦の勃発 | 1139-1187 | ヴェロナ(イタリア北東部):大聖堂 | |||
1139 | 教皇イノセント二世十字軍を保護下に置く | G | 1140-1168 | サンス:大聖堂 | ||
1141-1144 | ジョフロア プランタジネットによるノルマンデー占領 | |||||
1142-1181 | ヘンリー獅子王、ザクセン(Saxony)とバイエルン(Bavaria)の大公 | |||||
1144-1145 | 教皇ルキニウス二世の任期 | |||||
1145 | 聖ベルナール、フランス南部で異端カタリ派の信徒と戦う | |||||
1145頃 | ムワヒッド朝のスペイン占領始まる | |||||
1145-1153 | 教皇エウゲニウス三世(本名 Bernardo Paganelli/ 就任時 また後にもローマを追われ フランス滞在中は第 2 回十字軍を準備)の任期 | 1140/1143 | パレルモ:王宮礼拝堂 | |||
1146 | ヘンリー二世(ドイツ皇帝)の教会による公認 | |||||
1146 | 教皇、コンラード三世、マヌエル(ビザンティン帝国の皇帝 (1143‐80); セルジュークトルコと戦ったが敗れ 帝国を衰亡させた)、シシリーのロジェールに対し同盟を結ぶ。 | 1140頃 | ムラノ(イタリア、ベニスの一地区):サンティ・マリア・エ・ドナートの完成 | |||
1146 | カスティーリャのアルフォンソ7世、ムーア人と戦う : コルドバを奪取。 | 1147 | ルッカ(イタリア中部):サン・フレディアノの聖別 | |||
1147 | ルイ7世、フランス十字軍を率いる。 | 1148 | シトー(フランス中東部):ノートル・ダム修道院教会の聖別 | |||
1147-49 | 第二次十字軍:コンラード三世ドイツ軍を率いる。 | 1149 | エルサレム:聖墳墓教会の聖別 | |||
1150 | フランスのルイ七世による、アキテーヌのエレノアの離縁 | 1150 | アヴァロン(フランス中部):Saint-Lazareの共住聖職者団聖堂の拡張、完成 | |||
1151 | ジョフロア プランタジネット没 | 1150頃 | フィレンチェ:洗礼堂の建設とサン・ミニアト・アル・モンテ | |||
1150頃 | ポワティエ:ノートル・ダム・ラ・グランジュ完成 | |||||
1150-1250 | ケルン:グロース・ザンクト・マルタン | |||||
1152 | アキテーヌのエレオノールがプランタジネット王家の相続人、後のヘンリー二世に嫁ぐことにより、西フランス全体がイギリスの統治下に置かれる。 | G | 1151-1191 (1156-1191) |
サンリス:大聖堂 | ||
1152-1190 | 皇帝フレデリック一世バルバロッサ | 1151 | Schwarzrheindorf:ザンクト・クレメンスのダブル礼拝堂の聖別 | |||
1153 | クレルヴォーのベルナール(フランスの聖職者・神秘思想家; シトー派の修道士)没。 | 1151-1174 | サモラ(スペイン北西部):大聖堂 | |||
1153-1154 | 教皇アナスタシウス四世の任期? | |||||
1154 | ボローニャの大学設立。ラテン西欧で最初の大学。 | 1155/1160- | ラン(フランス北部):大聖堂 | |||
1154 | ヘンリー獅子王、バイエルン公となる | 1152 | ピサ(イタリア):洗礼堂の建設始まる | |||
1154-1155 | フレデリック一世の最初のイタリア遠征 | 1152-1200 | サラマンカ(スペイン西部):旧大聖堂 | |||
1154-1159 | 教皇ハドリアヌス四世 | |||||
1154-1189 | イギリスのヘンリー二世、プランタジネット家の初代王;アンジュー-プランタジネット王家 | |||||
1155 | フレデリック一世バルバロッサ、ローマで戴冠 | |||||
1156 | フレデリック一世のベアトリス(ブルゴーニュ(フランシュ-コンテ)の王位の相続者)と婚姻 | |||||
1157 | ブザンソンの会議:皇帝と法王の権力闘争 | G | 1160-1170 | ノワイヨン:大聖堂の袖廊 | ||
1158-1214 | カスティーリャのアルフォンソ八世 | 1160頃 | Poblet:サンタ・マリアの修道院教会の建設始まる | |||
1156 | アレクサンデル三世と対立法王ウィクト-ル四世の法王分立 | |||||
1159-1181 | 教皇アレクサンデル三世 | |||||
1159-1181 | ウィクト-ル四世、皇帝により対立教皇に指名される。 | |||||
1160 | パヴィアの評議会で教皇ウィクト-ル四世認められる。 | |||||
1160 | 教皇アレクサンデル三世フランスへ。 | G | 1160-1205 | サンリス:大聖堂 | ||
1162-1196 | アルフォンソ二世純潔王、アラゴン王 | 1162-1176 | コインブラ(ポルトガル中部):大聖堂 | |||
1164 | クラレンドン憲章(ヘンリー2世が国家と教会の関係を規定した) | G | 1163-1196 | パリ:大聖堂 | ||
1165 | ヴュルツブルク憲章(フレデリック一世、イギリスのヘンリー二世、教皇アレクサンデル三世の間で合意) | G | 1165-1200 | ランス:大聖堂 | ||
1165 | シャルルマーニュ列福される。 | |||||
1167 | フレデリック一世バルバロッサ、ローマを占領 | |||||
1169 | ザクセン公ヘンリー獅子王、イギリスのマティルダと婚姻 | |||||
1169 | フレデリック一世、息子ヘンリー六世を選出王と認める | G | 1170-1217 | シャロン・シュル・マルヌ:ノートル・ダム・アン・ヴォー | ||
1171 | バーリ(イタリア南東部):サン・ニコラの再建 | |||||
1170 | トーマス・ベケット殺害される( 1118?‐70/イングランドの聖職者;ヘンリー 2世の下で大法官 (1155‐62)、カンタベリー大司教 (1162‐70); 王と対立,カンタベリー大聖堂内で殺害された) | G | 1171-1181 | ウォルムス:大聖堂の西内陣 | ||
1173 | フランスのルイ7世とイングランドのヘンリー2世の戦争 | 1172-1177 | ニューカースル:王城 | |||
1174 | イングランドのヘンリー2世と彼の息子の間のMontlouisの和平 | 1174 | モンレアーレ(シシリー):大聖堂建設始まる | |||
1176頃 | ワルド(Vaudois)派(Peter Waldo が 12 世紀に南フランスで始めたキリスト教の一派; 異端として長らく迫害された)の創始 | 1174以降 | ミラノ:Sant'Ambrogio | |||
1176 | 南フランスでアルビ派(Albi 地方に広まった異端カタリ派の一派)の活動始まる。 | G | 1175-1184 | カンタベリー:大聖堂の内陣と三位一体礼拝堂(1179-1184) | ||
1177 | ヴェニスの和平:フレデリック一世、アレクサンデル三世と和解する。 | G | -1176 | ソワソン:大聖堂の南袖廊/1175-1230 | ||
1177-1185 | アヴィニョン(フランス南東部):サン・ベネゼ 橋 | |||||
1178-1180 | ヘンリー獅子王の試練:ヘンリー、領地を失い退陣させられる。 | 1178 | レセ:三位一体修道院教会の聖別 | |||
1180-1223 | 国王フィリップ2世オーギュスト | G | 1180頃 |
ウェールズ:聖デーヴィッド(ウェールズの修道院長でその守護聖人)の大聖堂の建設始まる | ||
1181-1185 | 教皇ルキウス3世の任期 | |||||
1181-1226 | アッシージの聖フランチェスコ | |||||
1184 | ワルド(Vaudois)派の弾劾 | |||||
1185-1187 | 教皇ウルバヌス3世の任期 | |||||
1187 | フランスのフィリップ2世オーギュストとフレデリック一世バルバロッサ、アンジュー[プランタジネット]王家(ヘンリー二世、リチャード一世、ジョン)と教皇党に対し同盟を結ぶ。 | G | 1180-1239? 1176-1240? |
ウェルズ:大聖堂(第一段階) | ||
1187 | 教皇グレゴリウス8世の任期 | 1180 | ドーヴァー(イングランド南東部):城郭 | |||
1187-1191 | 教皇クレメンス3世の任期 | 1182 | パリ:ノートルダム大聖堂 | |||
1187 | サラディーン、ガリラヤ湖(イスラエル・シリア国境の淡水湖)のHittinでキリスト教徒に勝利する:エルサレムの占領。 | G | 1182-1296 | Morimondo:シトー会修道院教会 | ||
1187 | シシリー王国のウィリアム(グリエルモ)2世死亡 | |||||
1189-1199 | 国王リチャード一世獅子心王 | G | 1184-1230 | コゼンツァ(カラブリア):大聖堂 | ||
1189-1192 | 第三次十字軍 | 1185 | バール:大聖堂の再建始まる | |||
1186以降 | チチェスター(イングランド南部):大聖堂の再建 | |||||
1190 | フレデリック一世、イコニウムのトルコに勝利するも、Salephで水死。 | G | 1187-1208 | Fossanova:シトー会修道院教会 | ||
1190-1197 | ヘンリー六世皇帝 | G | 1190-1250 | クエンカ:大聖堂/スペイン | ||
1191-1198 | 教皇ケレスティヌス3世の任期 | |||||
1192 | リチャード獅子心王、サラディーンと休戦に合意す | G | 1192-1230 | リンカーン:大聖堂の内陣/大聖堂の再建始まる | ||
1194-1266 | ホーエンスタウフェン朝のシシリー王国 | 1192-1230 | ゲロナ:「アラビラの浴場」 | |||
1193 | リチャード獅子心王第三次十字軍の帰途、オーストリアで捕虜となる。 | G | 1194-1220 | シャルトル:大聖堂の再建始まる | ||
1195 | ヘンリー獅子王死亡 | G | 1195-1208 | ブレーヌ:サンティーヴ(大修道院) | ||
G | 1195-1214 | ブールジュ:大聖堂の内陣 | ||||
R | 1196 | パルマ:洗練堂 | ||||
G | 1196-1197 | ガイヤール城 |
||||
1198 | シュヴァーベン(swabia)(ドイツ南西部)のフィリップ一世とブラウンシュヴァイク( ドイツ中北部)皇帝戴冠式 | G | 1196-1220 | パリ:大聖堂の西構え | ||
1198 | 皇帝位をめぐり皇帝党(ギベリン党)と教皇党の闘争。 | G | 1200-1212 | ソアソン:大聖堂の内陣と東身廊のペイ | ||
1198-1216 | イノセント三世の任期:教皇の権力、最高点に達する。 | G | 1200-1207 | エーブラハ:シトー会修道院のザンクト・ミヒャエルの礼拝堂 | ||
1199-1216 | イングランド王ジョンの治世 | G | 1200-1235 | リンブルフ:ザンクト・ゲオルク大聖堂 | ||
13世紀 | 1202-1204 | 第四次十字軍;コンスタンティノープルを占領 | G | 1203-1217 | カーサマーリ:シトー会修道院教会 | |
1202-1204 | フィリップ2世尊厳王、フランスのイギリス領(ギュイエンヌの除く)を征服する。 | G | 1205-1215 | ラン:大聖堂の内陣 | ||
1209 | オットー1214六世ローマで皇帝を戴冠す。 | |||||
1209-1229 | アルビジョワ戦争(南仏)→十字軍プロヴァンス占領 | G | 1209-1232 | マクデブルク:大聖堂の内陣 | ||
1212-1250 | フリードリッヒ2世、シシリー王、ドイツ王、神聖ローマ帝国皇帝 | 1211-1241 | ランス(フランス北東部):大聖堂 | |||
1213 | エーガーの金印勅書:フリードリッヒ2世の下、教皇によってなされた諸譲歩の再確認。 | 1217-1230 | オーセル(フランス中部):大聖堂の内陣 | |||
1214 | フィリップ2世尊厳王、ブーヴィーヌの戦いでイングランド(皇帝オットー4世と同盟)に勝利する。 | 1219-1224 | ヴェルチェッリ:サンタンドレア | |||
1215 | マグナ・カルタ:諸候の勢力の増伸、ジョン王に王権の専制に対する法律の保護を迫る。 | 1219-1227 | ケルン:ザンクト・ゲレオンのデカゴン | |||
1215 | ラテラノ教会会議:第4回ラテラノ公会議は、審問会議で異端者たちの迫害を決議する | 1220 | アミアン(フランス北部):大聖堂の礎石設置 | |||
1216-1272 | ヘンリー3世、イングランド王 | 1220-1240 | ディジョン(フランス東部):ノートル・ダム | |||
1220 | ホノリウス3世、皇帝フリードリッヒ2世に戴冠する | 1220-1250 | クータンス(フランス北西部):大聖堂 | |||
1220-1251 | ベヴァリー(イングランド北部):教会堂 | |||||
1220-1266 | ソールズベリー:大聖堂 | |||||
1221-1260 | ブルゴス(スペイン北部):大聖堂 | |||||
1223-1226 | ルイ8世、フランス王 | 1224-1232 | ウスターWorcester (イングランド西部):大聖堂の内陣 | |||
1225 | 皇帝党(ギベリン党)と教皇党、北イタリアの諸都市を巡り闘争:フリードリッヒ2世、ナポリ大学を創設。 | 1225-1237 | バンベルク(ドイツ中南部):ザンクト・ゲレオンのデカゴン | |||
1226-1270 | ルイ9世聖王、フランス王 | 1227 | トレド:大聖堂の建設始まる | |||
1227-1272 | ボヴェ(パリ北北西):大聖堂の内陣 | |||||
1228-1229 | 第五次十字軍→フリードリッヒ2世の十字軍 (無血大勝利、エルサレム、ベツレヘム、ナザレ獲得)) |
R | 1228-1253 | アッシジ:サン・フランチェスコ | ||
1229-1239 | ウェールズ:大聖堂の西ファサード | |||||
1231-1282 | サン・ドニ:再建 | |||||
1233以前 | トゥール(フランス中北西部):大聖堂 | |||||
1234-1251 | ヨーク:教会堂の袖廊 | |||||
1234-1252 | イーリー:大聖堂の内陣 | |||||
1235-1265 | トリール(ドイツ西部):Liefrauenkirche | |||||
1235-1283 | マールブルク:ザンクト・エリザベト | |||||
1236-1250 | ボローニャ:サン・フランチェスコ | |||||
1237/1239 | リンカーン:参事会議事堂 | |||||
1238頃 | サン・ジェルマン・アン・レー(パリ西郊外):王宮礼拝堂 | |||||
1240-1275 | ストラスブール(フランス北東部):教会堂の身廊 | |||||
1240頃 | リンカーン:大聖堂の西ファサードの建設始まる | |||||
1240頃 | アプリア:カステル・デル・モンテ | |||||
1241以前 | トロア(フランス北東部):大聖堂の内陣 | |||||
1241-1248 | パリ:サンテ・シャペル | |||||
1244-1360 | フィレンチェ:サンタ・マリア・ノッベラ | |||||
1245-1272 | ロンドン:ウエストミンスター修道院 | |||||
1246-1270 | レーゲンスブルク(ドイツ南東部):ドミニコ会教会の内陣 | |||||
1248-1254 | 第六次十字軍→ルイ9世聖王の十字軍 (大敗北、エジプトで捕虜になる) |
1248-1280 | クレルモン・フェラン:大聖堂 | |||
1248-1322 | ケルン:大聖堂の内陣 | |||||
1250 | シエナ(イタリア中部):大聖堂の建設始まる | |||||
1250 | フリードリッヒ2世、死亡 | 1250-1267 | パリ:大聖堂の袖廊正面 | |||
1250-1254 | コンラート4世の治世 | 1250頃 | ソールズベリー:西ファサード | |||
1254-1268 | ホーエンシュタウフェン家の衰退→教皇庁はルイ9世フランス王の末弟アンジュー伯シャルルにシチリアを譲渡 | 1250頃 | ナウムブルク :西内陣 | |||
1254 | メッシナ(シシリー):フランチェスコ会の教会の建設始まる | |||||
R | 1255 | フィレンチェ:パラッツォデルポデスタ着工 | ||||
1255頃 | レオン:大聖堂着工 | |||||
1256-1273 | 大空位時代 | 1255-1285 | ランス:大聖堂の西構え | |||
1256-1280 | リンカーン:大聖堂の天使の聖歌隊席(エンジェル・クワイア) | |||||
1257 | リッチフィールド(イングランド中西部):身廊の建設始まる | |||||
1257-1266 | ヴィテルボ(イタリア中部):ローマ教皇の宮殿 | |||||
1258-1265 | イングランド諸侯の反乱 | 1259-1267 | サン・ジェルマン・デ・フリ:聖母礼拝堂 | |||
1259-1276 | アルテンブルク(ドイツ中東部):シトー会教会の内陣 | |||||
1260-1280 | リューベック(ドイツ北部):マリエン教会の内陣 | |||||
1266-1285 | アンジュー伯シャルル、ナポリから南イタリアを支配 | 1262-1275 | トロア:Saint-Urbain | |||
1270-1285 | フィリップ3世豪胆王、フランス王:プロバンスとトゥールーズ(フランス南西部)地方の征服 | 1263-1284 | ソールズベリー:参事会会議場 | |||
1272-1307 | エドワード1世、イングランド王 | 1267-1290 | ミンデン:大聖堂の会堂身廊 | |||
R | 1270-1285 | ナポリ:サン・ロレンツォ・マジョーレ | ||||
1273-1291 | フドルフ・フォン・ハプスブルク、ドイツ王:ドイツ、地域公国に分裂 | 1273-1310 | レーゲンスブルク(ドイツ南東部):内陣 | |||
1273-1319 | チョーリン:シトー会教会 | |||||
1275-1286 | エクセター(イングランド南西部):大聖堂の内陣 | |||||
1275-1365 | ストラスブール(フランス北東部):西構え | |||||
1277-1289 | アレッツォ(中部イタリア、フィレンチェの南東):大聖堂 | |||||
1280頃 | フライブルク(ドイツ南西部):東海道のオクタゴンの建設始まる | |||||
1285-1314 | フィリップ4世端麗王、フランス王:フランス、中世期の最大の勢力に達す。 | 1280以降 | ピアチェンツァ(イタリア北部):パラッツォコムーネ | |||
1288-1295 | ハイリゲンクロイツ シトー会教会の内陣 | |||||
1292-1298 | アドルフ・フォン・ナッサウ、ドイツ王 | 1292 | ヨーク:教会堂の身廊の建設始まる | |||
1298-1308 | アルブレヒト?・フォン・ハプスブルク |
主な参考文献: THE EARLY MIDDLE AGES/XAVIER BARRAL ALTET/Benedikt Taschen THE ROMANESQUE/XAVIER BARRAL ALTET/Benedikt Taschen HIGH GOTHIC/GUNTHER BINDING /Benedikt Taschen