カスル・ハラナ/Kasr Kharana 710年頃
カスル・ハラナは、ウマイヤ朝第6代カリフ、アル・ワリードの下で、ヨルダンのアンマンの近くで、710年頃に建てられた。この建物は、ローマのカストルム(castrum) に似ている。その矩形のプラン、瓦礫と煉瓦の層を交互に積んで造られ、銃眼が抜かれた高い壁(丸い塔が印象的)、高く頑丈な門、それら全てがローマ或いはビザンティンの砦の外観を思わせる。建築的な面白さは、そのホールにある。そこの円筒形のボールトには3つの小さな付け柱の束に支えられた横断アーチがある。この屋根の架け方はササン朝様式を思い起こさせ、そのスタッコはペルシャの建造物を思い起こさせる。その建物は農園に隣接していたと考えられている。

小さなウマイヤ朝の宮殿カスル・ハラナは、(ローマや後のビザンティンの要塞との共通点がある)東の国境線に建設され、帝国の境を防衛していた。その正方形のプラン(コナーに塔があり、南の城壁の中心に門のある)はカストルム(軍用基地)の典型となった。(そのことから、「Kasr」「Qasr」という言葉が派生した。) カスル・ハラナの正方形のプランには、境界壁に沿った一連なりの部屋を一望する中央の中庭がある。 カスル・ハラナの小さな中庭(2層の部屋で囲まれる)は、とても質素である。地上階には、馬屋と警護員の部屋があり、二階にはその建物の本来の目的であるヴォールトが架けられた小部屋がある。 カスル・ハラナは、ビザンティンとササン朝の影響を受けた珍しい複合施設である。屋根を支持する交差リブ或いは、束ねられた柱の上にアーチが載る優れた石工術が見られる。

図版出典:Islam vol.1 Taschen

05/10/13修正
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