アル・マンスール/al-Mansur 713?-775
賢帝として誉れ高く、恐れられていた、アッバース朝第2代目のカリフ、在位754-775年。アッバース朝体制の実質上の創設者。精力的で冷酷無残な人物とされていて、自己の権力の確立に障害となる人物は、アッバース朝の成立に貢献した叔父アブド・アッラーフや功臣アブー・ムスリムのような者でも抹殺、またアッバース家カリフ位に反対するシーア派を弾圧した。スペインのウマイヤ朝のアブド・アッラフマーンのもとにも幾度か軍隊を送り、制圧しようとした(全て失敗に終わっている)。恐らく750年のウマイヤ家の惨殺事件にも関わっていたといわれる。彼は、ウマイヤ朝末期以来の官僚機構や地方行政機構の踏襲と整備、とりわけ地方総督の権限下にあった裁判官(カーディー)の直接任命による司法権の独立、駅逓(バリード)制度の完備とその情報機関としての利用、財政制度の改革を行い、国庫歳入の増収と備蓄を図った。

建築
都をクーファの東北のハーシミーヤからバグダードに移し、円城を建設(762-766年)する。


05/10/10
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