カスル・アル・ハイル・イースト/Qasr Al-Hayr East(al-Sharqi)
ウマイヤ朝の砂漠地帯の宮殿。第10代カリフ・ヒシャームの治世、727-729年に建立。

ウマイヤ朝は、カリフとアラブの貴族たちが生活した巨大な領土に多くの建物を建設した。なぜなら、カリフがダマスカスにずっと留まることがないという彼らの遊牧的習慣があったからである。彼らは好んで季節折々に趣向によって、そして必要に応じて住居を頻繁に変えた。同じことが、カリフに従った種族の指導者にも当てはまった。そして首都から離れた彼らの旅のための別荘をそれ用に改造した。この慣習は多くの建物を説明する。その痕跡は、疎らに住居のある今日のシリアとメソポタミアの半乾燥の荒れ地で考古学者によって発掘されている。その最も良い例(パルミラの近くにある)の一つがカスル・アル・ハイル・イーストである。

パルミラの大草原にあるこの宮殿を形成する隣接する2つの建物は、発展途上のウマイヤ朝の建築を表している。それらは、谷の先頭に立っている。そして巨大な動物を放し飼いにした区域を形成するために壁で囲まれていた。二つの建物は両方とも方形の囲い地であった。大きな方には内部の居住区域に面するオープンコートがあった(主軸上には四つのエントランスがある)。そのようなエントランスの一つは、より小さいが高さはある囲われた区域(キャラバンサライとして考古学者に解釈されている一貫して建設された構造物)の一つのエントラスに面している。このより小さな囲われた区域は、モスクを完備した交易市場に形を替えた軍事基地に面した、カリフの邸宅であったとも思われる。なぜなら、この小さな囲われた区域は729年を端緒とでき、( そして、その建築業者の名前、及び、出身地(シリアのホムス)の確かな記録がある。) 、それはカリフ・ヒシャームのために建てられたということが知られているからである。その建物には、初期のマシコレーション、ポインテッドアーチ、段状迫石、そしてビザンチン様式の柱頭の中に古代ギリシア文化のディテールが多く見られる。その『邸宅』は、しかしながら、明らかに、ペルシャの工房の痕跡が含まれている。ヴォールト構造、漆喰細工、外部のブラインドアーケードにおいて、それらはエントランスを挟む搭を装飾している。カリフの国内の東部と西部の芸術的な要素が、ここで並置されている。

カスル・アル・ハイル・イーストの全体プラン。 鳥瞰写真:
大小2つの建物からなるカスル・アルハイル・イーストである。そのうち大きな方は 5.4エーカー( 2.2ha )の区域を占める。
参考文献:
/ISLAM VOL.1 ;Henri Stierlin ;Benedikt Taschen
/ARCHITECTURE OF ISLAMIC WORLD ;GEORGE MICHELL 編 ;Thames and Hudson
/Four Caliphates The Formation and Development of the Islamic Tradition (History of Architecture , Vol 6) ;Christopher Tadgell ;ellipsis
参考図版:
/a. ;Four Caliphates The Formation and Development of the Islamic Tradition (History of Architecture , Vol 6) ;Christopher Tadgell ;ellipsis
/b. ;ARCHITECTURE OF ISLAMIC WORLD ;GEORGE MICHELL 編 ;Thames and Hudson

05/10/13修正
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