クサイル・アムラ/Qusayr Amra

クサイル・アムラはユニークな浴場建物である。そのボールトとドームはレプチス・マグナの狩猟者の浴場(アントニウス帝の末期から知られている)を思い起こさせる。その建物の非対称で、砂漠の荒涼に立つ。そこは今日殆ど砂漠化しているが、西洋キョウチクトウの藪が地下にある水の在り処を示す。この水源はかつて周囲の作物を灌漑し、王子の浴場の為に水を供給していたに違いない。
クサイル・アムラには、2つの6mの大スパンのアーチが支える3つの並行なトンネルヴォールトの身廊を持つ、矩形の接見部屋がある。その中央の身廊はアルコーブ(小さな接見の間)へと導く、その形態で、支配者は彼の威厳を示したに違いない。そこには、部屋の右側と左側に位置する半球ドーム形のアプス(キュドフォーと呼ばれ、おそらく儀式の用に供した)がある。これらの部屋には、その建物のアプスの様な端部がある。この接見の間の内部空間(24m足らずの)は非常に珍しい絵画で完全に覆われている。そのフレスコ画には狩猟のシーン、木の下ではしゃいで水浴びをする裸婦、そして正装した幾人かの人物が描かれている(イスラーム建築のなかでは頗る珍しい主題)。それらは後期ヘレニズム様式で、宮殿の所有者(この場合カリフ)に敬意を表している様に思われる4人の君主を表現している。実際、これらの等身大の肖像画はこの時代の王と認められる。一方の面にはカエサル(ビザンチンの皇帝)と最後のスペインのヴィシゴス西ゴード)の王ロデリック。そして別の面には、(ペルシャの諸王の王)ホスロー2世、、そして(アビシニアの王)ネグス。ギリシャ語とアラビア語の双方の献呈の辞は、これらの人物を明らかにし、クサイル・アムラの城の建設年代が、アル・ワリードの治世の711年の後、間もないことを示している。
この豪華な接見の間は小さな浴室の東側に位置しており、カルダリウムの役割をする珍しい空間であり、天体と星占いの絵画のある半球形のドームで覆われている。アラブ人は常に、呪いと星占いの芸術に興味を持ってきた。彼らの指導者は未来を予測することに心頭した。そうして神聖な熟練工の知識は最も重要視された。これはアラブが天文学と観測術において優れた発達を見せた理由を供述する。彼らはギリシャから引き継いだ高度な科学(特に、クラーディアス・プトレマイオス)を発達させた。

ずんぐりした塊クサイル・アムラ−赤い城−(平行なポールトと低いキューポラのある)からは、ウマイヤ朝の豪奢な建物の内部構成が伺える。

8世紀の初頭にヨルダンの砂漠で、ウマイヤ朝の王子の為に建設された浴場のプラン。その建物は、古代のプライベートな浴場に見受けられる、大きな歓待の間と連続した部屋がある。下は、離れ。

クサイル・アムラには一つだけ、大ホールがある。三つの平行な筒型のヴォールトからなるその屋根は2つの大きな縦長のアーチの上に載っている。そのホールには支配者が王座についたであろうアプスが中央にある。壁面は全て絵画で覆われている。その幾つかは、時によりまた人により破損させられている。

クサイル・アムラの浴室の一つは天空と干支(王道12宮)の像のあるクーポラを持っている。天文学はカリフの宮廷で重要な役割を担っており、ホロスコープの占星により政策が決定された。
図版出典:Islam vol.1 Taschen

05/10/04修正

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