Vandal/バンダル王国 422-533

4〜5世紀ごろのドイツ地方出身のゲルマン民族。ドイツ語で Reich der Wandalen。南欧・北アフリカを攻略し、現チュニジア周辺に王国を築いた。彼らは、末期的状態にあったローマ帝国に大きな脅威を与え、その崩壊を促した。

王国の実質的な建設者として重要な役割を果たしたのはガイセリック王(?‐477。在位428‐477)で、429年に彼に従ってジブラルタル海峡を渡った部族民集団は、北ドイツやハンガリー地方からの長い移動の途次逐次合流した多様な部族民によって構成されていた。国家は、この集団がカルタゴ近辺のプロコンスル州に最終的に征服者として定着した後、442年に形成された。彼らは、〈ローマの穀倉〉といわれたこの地域の広大な皇帝領やローマ人貴族の大所領を基盤としながら、機動力を駆使して広大な領域の軍事的支配を維持し、海上へも進出して西地中海一帯の制海権を得た。455年に都市ローマに攻め入って略奪を行い、468年にはビザンティン皇帝からバンダル征討のため派遣された大艦隊を壊滅させた。しかしこうしたバンダルの支配体制は王の個人的力量に依存するところが大きく、ガイセリックの死後、フネリック王はローマ人勢力を抑えようとして過酷なカトリック迫害を重ねる結果となり、さらにトラサムント王は辺境諸地方の土着のベルベル族の対策に追われ、533年には王位継承問題を機にビザンティン帝国の介入を招き、ビザンティン軍による約1年の掃討戦の後、滅亡した。


*参照→民族大移動部族別侵攻とその後の展開

2006/05/15

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