ちょっと似すぎ!? part 22  連続交差アーチのその後-イギリスの例
/改めクリュニー修道院とイスラム文化 part7


イギリスのゴシック建築の中に連続交差アーチを見つける。これも今は廃墟となっている、クリュニー修道会のマッチ・ウェンロック小修道院(Much Wenlock Priory)がそれである。この地での教会の歴史は深く、元来680年頃にアングロ・サクソン族のマーシア王メレウォルドが修道院を建てたことがわかっているが、それ以前のローマ帝国時代にもその基礎の下に教会があったとこが分かっている。現在の建物の廃墟はノルマン・コンクエスト後、ウイリアム征服王の忠臣シュルーズベリー伯ロジャー・ドゥ・モンゴメリーが修道院と教会をクリュニー修道会に寄贈しその分院としたことからはじまるのものだとされている。現在廃墟として地上にそびえる建物は13世紀の初頭に時の修道院長ハンバートが、建設したゴシック様式の新教会堂の廃墟(建設期間40年、全長107m、当時イギリス最大の修道院教会堂)であるが、注目すべきは、修道院に付属していたチャプターハウス(集会室)である。この建物は1140年頃に建てられたというからノーフォークにあるキャスル・エーカー小修道院が奉納されたとする1146-1148年とほぼ同時期である。そしてここでも連続交差アーチが採用されている。しかもそのアーチの上部はアーチが重ねられ網状に展開していっているが、これはスペインで見られる展開例と同じ形式である。以下「イギリスの修道院/志子田光男他/研究社」の文章を引用する。
図書館の南には、1140年に建てられたノルマン様式の豪快な円形アーチを三つ備えたチャプター・ハウスがある。三つのアーチのうち中央が入口であり、その両隣は窓であったと想像される。現在は屋根が完全に失われているが、もともとは三つの丸天井をもつ柱間(ベイ)からなり、それを支えていた柱と柱頭の跡は、アーケード状の装飾壁を支えている。その内部の壁を飾っていた装飾は、円形アーチの基部をそれぞれ隣り合うアーチの中心に置くように複雑に組み合わせた装飾であり、このノルマンの装飾は、幸い再建されたときにも残されたものである。おそらく、これらのアーチや柱は、赤や金、緑、青などの極彩色が施されていたと考えられている』

、、、しかしながら、ここでもそのアーチがムーア様式とそっくりであることは全くふれられていない。

マッチ・ウェンロック小修道院(Much Wenlock Priory)のチャプター・ハウス/1140年頃/シュロンプシャー/イギリス
図版引用サイト:http://www.geograph.org.uk/
マッチ・ウェンロック小修道院(Much Wenlock Priory)のチャプター・ハウス/13世紀のゴシック様式の新築部分/シュロンプシャー/イギリス
図版引用サイト:http://www.beenthere-donethat.org.uk
その後、、、、
前述の「イギリスの修道院」によると、1337-1453年の英仏間の100年戦争時、フランスと密接に結びついていた修道院はフランス王室に高額な税金を支払う義務があったが、本修道院は、1376年に初めてイギリスの修道院長を選び、1395年にリチャード2世によりイギリスの修道院として認められた、それ以後フランスのクリュニー親修道院に納められていた上納金はケンブリッジ大学のキングス・カレッジに納められるようになったということである、、、が。
ここに、建築様式伝播の要因を見つけることができる。
イギリスのケンブリッジにいきなり現れた交差アーチ

St.Nicholas 教会/Arrington/ケンブリッジ/イギリス
図版引用サイト:http://www.druidic.org/
St.Michael 教会/Longstanton/ケンブリッジ/イギリス
図版引用サイト:http://www.druidic.org/
St.Andrews 教会/Histon/ケンブリッジ/イギリス
図版引用サイト:http://www.druidic.org/
、、、因果関係は?、、、続く


2006/02/07
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